伯耆国
【概説】
山陰道に区分される令制国の一つで、現在の鳥取県西部に相当する地域。鎌倉時代末期、隠岐から脱出した後醍醐天皇を在地豪族の名和長年が奉じ、討幕の拠点を築いた地として日本中世史において極めて重要な役割を果たした。
地理的背景と大山信仰の隆盛
伯耆国は東を因幡国、西を出雲国、南を中国山地を挟んで美作国・備中国と接し、北は日本海に面している。古くから交通の要衝であり、特に日本海側の海上交通において重要な港湾を多く抱えていた。また、同国にそびえる中国地方最高峰の大山(だいせん)は古代より山岳信仰の霊場として崇敬を集め、中世には大山寺が強大な寺社勢力(僧兵)を擁して、地域の政治・軍事動向に大きな影響力を及ぼした。
元弘の乱における後醍醐天皇の船上山挙兵
伯耆国が日本史の表舞台で最大の注目を浴びたのは、1333年(元弘3年/正慶2年)の元弘の乱の際である。鎌倉幕府に対する挙兵に失敗し、隠岐島へ流刑となっていた後醍醐天皇は、脱出して伯耆国の名和湊(現・鳥取県大山町)に漂着した。この天皇を迎え入れたのが、伯耆国の日本海海運を掌握していた日本海側の新興武士(悪党とも評される)の名和長年であった。長年は後醍醐天皇を奉じて、険峻な山容を誇る船上山(せんじょうさん)に拠点を構築した。この「船上山挙兵」の報が全国に伝わると、足利高氏(尊氏)や新田義貞をはじめとする各地の反幕府勢力が一斉に蜂起し、同年の鎌倉幕府滅亡へと一気に歴史が動くこととなった。