船上山 (せんじょうさん)
1333年
【概説】
伯耆国(現在の鳥取県東伯郡琴浦町)に位置する、屏風のような断崖絶壁に囲まれた山。元弘の乱において隠岐島を脱出した後醍醐天皇を、在地の豪族である名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府打倒の拠点を築いた地として知られる。
隠岐脱出と名和氏による奉迎
鎌倉幕府打倒を掲げた元弘の乱(1331年)に敗れ、隠岐島へと流罪になっていた後醍醐天皇は、1333年(元弘3年/正慶2年)閏2月、幕府側の監視の目をかいくぐって島を脱出した。天皇を乗せた船は伯耆国名和港(現在の鳥取県大山町)に漂着し、地元の日本海海運を掌握していた悪党的な武士である名和長年(名和氏)に保護された。長年は天皇を奉じて、天然の要害である船上山に立て籠もり、全国の武士に向けて幕府打倒を呼びかける綸旨(りんじ)を発令した。
船上山の戦いとその歴史的意義
船上山に布陣した天皇軍に対し、幕府方の伯耆守護・佐々木清高が大軍を率いて襲来し、船上山の戦いが勃発した。しかし、険峻な地形を味方につけた名和長年の軍勢は、奇襲や心理戦を駆使して守護軍を撃退することに成功する。この船上山での勝利と後醍醐天皇の健在という報は全国に衝撃を与え、幕府有力御家人であった足利高氏(尊氏)の六波羅探題攻略や、新田義貞による鎌倉攻めを誘発する引き金となった。船上山は、150年近く続いた鎌倉幕府の滅亡と、その後の建武の新政の幕開けを決定づけた、日本史上の重要な結節点である。