浮浪 (ふろう)
【概説】
律令制下の日本において、戸籍に登録された本籍地(浮浪前の居住地)を離れ、他国や他郷へ移住して生活する農民の移動形態。過酷な負担から逃れるための消極的な抵抗手段であり、税(調・庸など)を納める意思を持つ点で「逃亡」と区別された。
「浮浪」と「逃亡」の相違点
律令社会において、本籍地を無断で離脱する農民の行動は、史料上「浮浪・逃亡」と一括して扱われることが多いが、厳密には両者は区別されていた。本籍地から失踪し、行方も知れず税の負担からも完全に逃れる不法行為を「逃亡」と呼ぶのに対し、「浮浪」は本籍地こそ離れるものの、移動先が判明しており、調や庸などの税を納める意思(あるいは実際に納めている状態)があるものを指した。
律令政府にとっても、浮浪者は完全に戸籍から逸脱した存在ではなく、浮浪先で一時的に登録して課税する「浮浪人」として捕捉可能であったため、直ちに強制送還される「逃亡」に比べると、ある程度の猶予や現地での納税(浮動調庸)が認められる場合があった。
浮浪が発生した歴史的背景と農民の窮状
奈良時代の農民は、班田収授法によって口分田を与えられていたが、その生活は極めて困窮していた。農民には、収穫の約3%を納める「租」のほか、都へ特産品や布を届ける「調・庸」、地方官衙や都での肉体労働である「雑徭(ぞうよう)」や「兵役」など、過酷な税負担が課せられていた。特に調・庸を自力で都まで運ぶ「運脚(うんきゃく)」の負担は重く、途中で飢死する者が絶えなかった。
さらに、度重なる飢饉や天平年間の天然痘の大流行などの疫病が追い打ちをかけ、自立的な農業経営が困難となった農民たちは、より税負担の緩やかな畿内や、新興の初期荘園(貴族や大寺社の私有地)の庇護を求めて本籍地を脱出し、浮浪化していった。
律令支配の変容と歴史的意義
浮浪や逃亡の増大は、戸籍に基づいて個々の農民から税を徴収する律令国家の「個別人身支配」の根幹を大きく揺るがした。政府は当初、浮浪者を本籍地へ強制的に送還する「勘造(かんぞう)」や、偽りの戸籍(偽籍)を取り締まる検括を行ったが、浮浪の勢いを止めることはできなかった。
この結果、政府は土地の私有を認める「三世一身法」(723年)や「墾田永年私財法」(743年)を制定せざるを得なくなり、自作農の維持から開墾の奨励へと政策転換を迫られた。浮浪による戸籍制度の崩壊は、後の平安時代における「王朝国家体制」(名体制による免田・名田単位の課税)への移行を促す歴史的な契機となった。