摂津国
【概説】
五畿(畿内)の一つに数えられ、現在の大阪府北中部および兵庫県南東部にまたがる令制国。瀬戸内海の東端に位置し、古くから外交・交易の要衝、そして政治・軍事の拠点として極めて重要な役割を果たした地域である。
古代・中世における交通・政治の要衝
摂津国は、難波津(のちの渡辺津)をはじめとする良港を擁し、瀬戸内海航路と山陽道などの陸路が交わる交通の結節点であった。古代には難波宮が置かれ、中世に入ると、平氏政権の成立とともにその重要性はさらに増した。平清盛は、日宋貿易の推進を見据えて摂津国大輪田泊(現在の兵庫県神戸市)の修築を行い、1180年には同国八部郡の地に福原京への遷都を強行した。わずか半年で京都に帰還することにはなったものの、摂津国が平氏の権力基盤において、いかに重視されていたかを示す象徴的な出来事である。
源平合戦(治承・寿永の乱)における軍事的意義
治承・寿永の乱において、摂津国は平氏と源氏が覇権を争う主要な戦場となった。1184年(寿永3年/元暦元年)に起きた一の谷の合戦は、摂津国と播磨国の境界付近に位置する一の谷(現在の神戸市須磨区・中央区周辺)を舞台に展開された。源範頼・源義経率いる源氏軍は、平氏の強固な防衛陣を「鵯越の逆落とし」と呼ばれる奇襲などによって打破し、平氏を四国の屋島へと敗走させた。また、摂津国には淀川河口部を拠点とする渡辺党などの嵯峨源氏流武士団が割拠しており、彼らの動向が源平合戦の帰勢や、のちの鎌倉幕府による西国支配の安定化に大きく影響を及ぼした。