文華秀麗集 (ぶんかしゅうれいしゅう)
818年
【概説】
平安時代前期の818年(弘仁9年)に、嵯峨天皇の命によって編纂された日本で2番目の勅撰漢詩集。先行する『凌雲集』に続き、平安初期の宮廷における漢文学の隆盛を今に伝える貴重な史料である。藤原冬嗣や菅原清公らが編纂に関わり、当時の唐風化政策を強く反映している。
文章経国思想と編纂の背景
平安時代初期の嵯峨天皇の治世下では、唐の進んだ制度や文化を積極的に受容しようとする弘仁・貞観文化が花開いた。この時代には、文学(特に漢詩文)の力によって国家を治め繁栄させるという文章経国(もんじょうけいこく)思想が重んじられ、官人(貴族)には必須の教養として漢詩の作成能力が求められた。
こうした中、日本初の勅撰漢詩集である『凌雲集』が814年に誕生したが、それに続く漢詩のさらなる隆盛と、天皇を中心とする宮廷文壇の成熟を示すために、わずか4年後の818年に本作『文華秀麗集』が勅撰された。編纂には藤原冬嗣、菅原清公(菅原道真の祖父)、勇山文継らが携わっている。
『文華秀麗集』の特色と歴史的意義
全3巻からなる本書には、嵯峨天皇や淳和天皇をはじめとする皇族・貴族のほか、最澄や空海といった僧侶を含む、多様な人物の漢詩約150首が収録されている。
文学史における特徴としては、前作『凌雲集』に比べて詩風が洗練され、初唐から盛唐・中唐の温雅な詩風へと移行している点が挙げられる。また、感情を豊かに表現した抒情詩や、宮廷の優美な生活を描いた詩が多く、分類(部類)も細分化されている。のちに編纂される『経国集』と合わせて「三代勅撰漢詩集」と総称され、平安貴族社会における教養の基準を示すマイルストーンとしての意義を有している。