経国集 (けいこくしゅう)
【概説】
827年に淳和天皇の命によって編纂された、平安時代初期の勅撰漢詩文集。嵯峨朝から淳和朝にかけて相次いで編纂された「勅撰三代漢詩集」の最後を飾る。当時の朝廷における漢文学重視の姿勢(文章経国思想)を如実に示す、歴史的・文化的に重要な史料である。
文章経国思想と勅撰三代漢詩集
平安時代初期の嵯峨天皇・淳和天皇の治世(弘仁・貞観文化期)においては、唐風の文化や制度が急速に受容された。その中で、文芸の力によって国家を治め、繁栄に導くという「文章経国(もんじょうけいこく)」の思想が支配的となった。この思想に基づき、天皇の命令(勅命)によって漢詩集を編纂する「勅撰」が行われた。
その先駆けとなったのが、嵯峨天皇のもとで編纂された『凌雲集』(814年)と『文華秀麗集』(818年)である。これらに続き、淳和天皇の天長4年(827年)に、良岑安世(よしみねのやすよ)や滋野貞主(しげののさだぬし)らの手によって編纂されたのが、三番目の勅撰漢詩集である『経国集』である。これら三つの漢詩文集を総称して「勅撰三代漢詩集」と呼ぶ。
『経国集』の特徴と歴史的意義
『経国集』は、先行する2つの漢詩集が漢詩のみを収録していたのに対し、詩だけでなく、賦(ふ)や、官吏登用試験の答案である「対策(たいさく)」、文章の序文など、多岐にわたる文体を収録した点に大きな特徴がある。全20巻におよぶ壮大な規模で編纂され、天平年間から天長年間までの約120年間にわたる文人の作が網羅されていた。現在はその大部分が散逸し、計6巻のみが伝存している。
本書の編纂は、単なる文学的な事業にとどまらず、律令国家の官僚たちに高い漢文学の素養を求めることで、文治的な官僚制を維持・強化しようとする政治的意図を含んでいた。同時代に編纂された律令の公式解説書『令義解』などとともに、平安初期における国家制度の整備と、宮廷社会における高い文化的水準を現代に伝える一級史料である。