凌雲集

嵯峨天皇の命によって編纂された、日本最初の勅撰漢詩集は何か。
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
凌雲集(Wikipedia)

凌雲集 (りょううんしゅう)

814年

【概説】
嵯峨天皇の命によって編纂された、日本で最初の勅撰漢詩集。平安初期の弘仁・貞観文化期を代表する、国家的な文学事業の記念碑的成果。唐風化政策の一環として編まれ、宮廷社会における漢詩文の地位を決定づけた史料。

「文章経国」思想と嵯峨天皇の企図

平安時代初期、桓武天皇から嵯峨天皇の治世にかけて、律令国家の再建と天皇の権威強化を目的に、中国(唐)の制度や文化を積極的に取り入れる唐風化が推進された。その思想的背景にあったのが「文章経国(もんじょうけいこく)」思想である。これは、文筆や学問(文章)こそが国家を治め、太平をもたらすために不可欠な営みであるとする考え方であった。

自らも優れた文人であった嵯峨天皇は、この思想を強く信奉し、宮廷における漢詩文の制作を奨励した。天皇は、宮廷貴族や官僚たちの文学的教養を高めることが官僚制の充実につながると考え、その具体的な実践として、弘仁5(814)年に日本初となる勅撰の漢詩集の編纂を命じた。こうして完成したのが『凌雲集』である。

『凌雲集』の編纂者と収録内容

『凌雲集』の編纂作業は、嵯峨天皇の命を受けた小野岑守(おののみねもり)や菅原清公(すがわらのきよきみ)ら、当時の第一流の文人官僚たちによって進められた。彼らは、過去の約50年間に詠まれた優れた漢詩を選定し、全1巻にまとめた。

収録された詩は計90余首にのぼり、作者は嵯峨天皇や大伴皇子(のちの淳和天皇)をはじめとする皇族から、高級貴族、そして最澄や空海といった当時の仏教界を代表する高僧にまで及んだ。構成は、詩の形態(五言、七言)や宮廷の宴などの場面ごとに分類されており、中国の詩人である白居易(白楽天)らの影響を強く受けた中唐期の詩風が色濃く反映されている。

歴史的意義と「三大勅撰漢詩集」への展開

『凌雲集』の成立は、それまで貴族の私的な趣味に留まりがちであった漢詩を、国家公認の教養および政治的伝達手段へと昇格させる画期的な出来事であった。これ以降、官僚登用試験である「対策(たいさく)」などにおいても詩文の能力が極めて重視されるようになり、貴族たちにとって漢詩文の作成能力は出世に直結する必須の技能となった。

この『凌雲集』の成功を契機として、宮廷ではさらなる漢詩集の編纂が進められた。嵯峨天皇期には第2の勅撰漢詩集である『文華秀麗集』(818年)が、続く淳和天皇期には第3の『経国集』(827年)が編纂された。これら三つの詩集は総称して「三大勅撰漢詩集」と呼ばれ、平安初期における唐風文化の黄金期を象徴するものとして、日本文学史および日本制度史において極めて重要な意義を持っている。

日本古典文学全集 7

古典文学の精華を余すところなく収め、物語の源流と美意識を紐解く、日本文学探求の正統たる集成。

全釈漢文大系〈26〉文選 (1974年)

千年の時を超えて読み継がれる漢詩文の極致を網羅し、厳密な訓読と懇切な注釈で読み解く至高の選集。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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