続日本後紀 (しょくにほんこうき)
【概説】
藤原良房らによって編纂された、六国史の第4作目にあたる平安時代初期の正史。第54代仁明天皇の1代のみの歴史を記録した初の「一代記」。承和の変など藤原北家台頭期の政治動向を伝える重要な歴史史料である。
「一代記」という新たな記述形式の採用
これまでの六国史、すなわち『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』は、いずれも複数の天皇の治世を連続して記述する形式をとっていた。これに対し、貞観11年(869年)に完成した『続日本後紀』は、仁明天皇の代(承和元年・834年から嘉祥3年・850年まで)のみを対象とした、初の「一代記」として編纂されたのが最大の特徴である。
この方針転換の背景には、国家の記録が膨大化していく中で、編纂作業を迅速に進めるという実務上の要請があった。また、後述するように仁明天皇の治世が藤原北家にとって極めて重要な画期であったため、1代のみに焦点を絞ることで、より詳細かつ密度の高い政治叙述を行う意図があったと考えられている。
藤原良房の権力掌握と政治的意図
本書の編纂責任者は、仁明天皇の姻戚として権力を握り、のちに人臣最初の摂政となった藤原良房である。良房は、承和9年(842年)に起きた承和の変において伴健岑や橘逸勢らを排斥し、実の妹である藤原順子が生んだ道康親王(のちの文徳天皇)を皇太子に立てることに成功した。これにより、藤原北家の主導権は決定的なものとなった。
『続日本後紀』には、この承和の変をはじめとする政争の経緯が克明に記されている。その記述は良房ら藤原北家による権力奪取の正当性を強調し、北家主導の政治体制を歴史的に基礎づけるという、極めて強い政治的意図に基づいていた。つまり、単なる客観的な歴史記録にとどまらず、藤原氏による摂関政治の形成過程における「公式見解」としての役割を担っていたのである。
編纂者・春澄善縄と美麗な駢文体
良房のもとで実際の編纂実務をリードしたのは、文章博士などを歴任した碩学・春澄善縄(はるずみのよしただ)らであった。善縄らの手によって執筆された本書は、漢文の文体として、対句や華麗な修辞を重んじる四六駢儷体(駢文体)が多用されているのが大きな特徴である。
この華美麗な文体は、弘仁・貞観文化期における貴族社会の漢文学的成熟を如実に示している。また、天皇の崩御に際して寄せられた高官たちの「薨卒伝(伝記)」は、当時の貴族たちの思想や生活、人間関係を伝える貴重な社会史的資料となっており、史料としての価値をさらに高めている。