昌泰の変 (しょうたいのへん)
901年
【概説】
平安時代中期の901年(昌泰4年)、左大臣の藤原時平らの讒言により、右大臣の菅原道真が大宰権帥へと左遷された政治事件。宇多法皇による親政から醍醐天皇の治世へと移行する中で発生した、藤原氏による他氏排斥運動の代表例。この事件により朝廷における藤原氏の優位が決定づけられた。
変の背景:宇多・醍醐朝の政治改革と道真の台頭
光孝天皇、宇多天皇の治世において、藤原氏(特に藤原基経)の権力肥大化を抑制するため、学問的実務能力に優れた菅原道真が重用された。宇多天皇は寛平の治と呼ばれる親政を行い、道真を右大臣にまで抜擢。道真は遣唐使の廃止進言など朝政の改革を推進した。しかし、宇多天皇から醍醐天皇への譲位後、藤原基経の嫡男である左大臣・藤原時平や、旧来の門閥貴族たちは、門地を背景に持たない道真の急速な昇進に対して不満と危機感を募らせていった。
事件の勃発と歴史的影響
901年1月、時平らは醍醐天皇に対し「道真が天皇を廃立し、自身の娘婿である斉世親王を新たな天皇に擁立しようと企てている」との虚偽の密告(讒言)を行った。これを受けた醍醐天皇は、道真を大宰権帥へと事実上の配流に処し、道真の子供たちも左遷・流罪とした。この決定を阻止しようとした宇多法皇の抗議も退けられ、政敵を排除した藤原時平が朝廷の権力を握ることとなった。その後、配流先の太宰府で失意のうちに没した道真の怨霊を恐れた朝廷は、後に道真の左遷に関わった者たちの急死や、清涼殿落雷事件などを経て彼を赦免し、天満大自在天神として祀ることで怨霊鎮めを図った。これが後の天神信仰へと発展していくこととなる。