藤原実頼 (ふじわらのさねより)
900年〜970年
【概説】
平安時代中期の公卿で、藤原忠平の長男。冷泉天皇の関白、円融天皇の摂政を歴任し、他氏排斥事件である安和の変を経て藤原北家による摂関政治の基盤を揺るぎないものとした政治家。
摂関の復活と外戚関係の苦悩
藤原実頼は、藤原北家の全盛期を築いた藤原忠平の嫡男として生まれた。村上天皇の親政期(天暦の治)には左大臣として政務を主導したが、967年の冷泉天皇即位に際して、父・忠平以来となる関白に就任した。しかし、実頼は冷泉天皇の直接の外祖父ではなく、伯父にあたる立場であったため、皇室との血縁的結びつきが弱かった。そのため、実質的な権力掌握には至らず、実頼自身がその関白としての権限の限界を嘆いたとされる。この背景には、実力者であった弟の藤原師輔(九条流の祖)の系統が天皇の外戚として台頭していた政治的状況があった。
安和の変と摂関常置の確立
969年(安和2年)、朝廷を揺るがす政変である安和の変が発生した。これは、醍醐天皇の皇子で左大臣であった源高明が、皇位継承をめぐる陰謀を企てたとして排除された事件である。当時、太政大臣兼関白であった実頼は、この他氏排斥を容認・推進し、藤原氏の安泰を図った。事件直後、冷泉天皇が譲位して円融天皇が即位すると、実頼は幼年の新天皇を補佐する摂政に就任した。この安和の変をもって藤原氏による他氏排斥は事実上完了し、以後は天皇の世代交代に関わらず、摂政や関白が絶え間なく置かれる「摂関常置」の時代、すなわち摂関政治の全盛期へと移行することとなった。