国民総生産(GNP)
【概説】
一定期間内に国民が新たに生産したモノやサービスの付加価値の総額を示す経済指標。日本史においては、高度経済成長期の1968年(昭和43年)に日本が西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ資本主義世界第2位の経済規模を達成した際の指標として歴史的意義を持つ。
高度経済成長と「国民所得倍増計画」
1955年(昭和30年)頃から始まった高度経済成長期、日本は年平均10%前後という世界的にも稀に見る驚異的な実質経済成長率を記録し続けた。この経済成長を強力に牽引したのが、1960年(昭和35年)に池田勇人内閣が打ち出した「国民所得倍増計画」である。政府はGNP(国民総生産)の拡大を国の最重要課題と位置づけ、重化学工業化の推進、太平洋ベルト地帯への工業集積、社会資本の整備を強力に推し進めた。民間企業による「投資が投資を呼ぶ」活発な技術革新と設備投資、そして国民の旺盛な消費意欲に支えられ、日本のGNPは飛躍的な増大を遂げていくこととなった。
資本主義世界第2位への躍進
1960年代後半の「いざなぎ景気」と呼ばれる長期好況のさなかであった1968年(昭和43年)、日本のGNPは西ドイツを追い抜き、アメリカに次ぐ資本主義世界第2位の経済規模へと躍り出た。第二次世界大戦の敗戦による焦土と極度の物資不足からわずか20年余りで、日本が国際社会において確固たる「経済大国」の地位を確立したことを象徴する歴史的出来事であった。この時期、日本の国際収支は慢性的な赤字(国際収支の天井)を克服して恒常的な貿易黒字へと転換し、世界市場における日本製品の競争力は確固たるものとなった。
経済成長のひずみと「くたばれGNP」
しかし、GNPの急激な拡大と重化学工業化の偏重は、日本社会に深刻な「成長のひずみ」をもたらした。水質汚濁や大気汚染による四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)の発生、都市部への人口集中による過密問題、農村部の過疎化、交通戦争と呼ばれる交通事故の激増などである。GNPはあくまで経済的価値の総量を測る指標であり、国民生活の質的豊かさや自然環境の保全を反映するものではなかった。そのため、1970年代に入ると「くたばれGNP」という言葉が流行するなど、成長至上主義に対する厳しい批判が国民の間から噴出した。これを受け、政府は1971年(昭和46年)に環境庁を新設し、さらに「国民純福祉(NNW)」という生活の質を測る新たな指標の導入を模索するなど、量から質への政策転換を迫られることとなった。
指標の変遷:GNPからGDPへ
その後、経済のグローバル化が進み、日本企業の海外進出が活発化すると経済状況の捉え方に変化が生じた。海外で活動する日本国民(企業)の利益も含む「国民総生産(GNP)」よりも、国内で生み出された付加価値のみを合算し、国内の雇用や景気の実態をより正確に反映する「国内総生産(GDP)」が世界の主流となっていった。日本でも1993年(平成5年)から、政府の経済見通しや統計の主指標がGNPからGDPへと移行した。現在、GNPという言葉が日常的な経済ニュースで使われることは少なくなったが、戦後日本の復興と未曾有の経済大国化を象徴する歴史用語として、その意義は極めて大きい。