いざなぎ景気
【概説】
1965(昭和40)年秋から1970(昭和45)年夏まで、57ヶ月間にわたって続いた戦後最長(当時)の大型好景気。佐藤栄作内閣の時期に該当し、日本が西ドイツを抜いて資本主義国第2位の経済大国へと躍進する原動力となった、高度経済成長期の頂点ともいえる期間である。
日本神話に由来する名称と好景気の背景
1964(昭和39)年の東京オリンピック終了後、日本経済は反動による深刻な不況(証券不況・昭和40年不況)に陥った。これに対し、佐藤栄作内閣は戦後初となる赤字国債(建設国債)の発行に踏み切り、積極的な財政出動と金融緩和による景気刺激策を実施した。これが契機となり、経済は急速に回復へと向かった。
やがて企業の活発な民間設備投資と、ベトナム戦争を背景としたアメリカの好景気に伴う輸出増大が牽引役となり、長期にわたる好景気が到来した。この景気拡大は、過去の大型景気であった「神武景気」や「岩戸景気」をしのぐ規模であったため、日本神話において国生みを行った神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)にちなんで「いざなぎ景気」と命名された。
「3C」の普及と大衆消費社会の成熟
この好景気は、国民の所得水準を大幅に向上させ、大衆消費社会を本格的に成熟させた。技術革新による大量生産体制の確立により、耐久消費財が一般家庭へと急速に浸透したのである。
特にこの時期を象徴するのが「3C(新・三種の神器)」と呼ばれる三つの耐久消費財、すなわちカラーテレビ(Color television)、クーラー(Cooler)、自動車(Car)の普及である。これらが一般大衆の手に届くようになったことで、人々のライフスタイルは大きく変化し、マイカーブームの到来や余暇産業の発展など、現代に通じる消費文化が定着していった。
経済大国への躍進と産業構造の大型化
いざなぎ景気の期間中、日本の重化学工業は飛躍的な発展を遂げ、国際競争力を大幅に強化した。鉄鋼、自動車、造船、家電などの分野で輸出が急増し、日本は慢性的な国際収支の赤字から脱却して、恒常的な黒字国へと転換を果たした。
また、国際経済社会への統合が進む中、外国資本の流入(資本の自由化)に対する防波堤として、国内企業の国際競争力を高めるための企業合併が相次いだ。1970年の八幡製鐵と富士製鐵の合併による新日本製鐵の発足などは、その象徴的な出来事である。こうした成長の結果、1968(昭和43)年には日本の国民総生産(GNP)が西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ資本主義国第2位の経済大国へと躍進した。1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)は、国力充実の頂点を内外に誇示する国家的祭典となった。
高度成長の光と影、そして終焉へ
一方で、急速な経済成長は日本社会に「影」の部分をもたらした。工場からの排煙や排水による大気汚染・水質汚濁が深刻化し、水俣病や四日市ぜんそくなどに代表される公害問題が全国規模で社会問題となった。さらに、都市部への急激な人口集中による過密問題と農村部の過疎問題、持続的な消費者物価の上昇など、国民生活を脅かす歪みも表面化した。
いざなぎ景気は1970年夏にピークアウトして後退局面に入り、翌1971年のニクソン・ショック(ドル・ショック)によって、輸出主導の経済成長モデルは大きな打撃を受けた。そして1973年の第1次オイル・ショックにより、日本の高度経済成長期そのものが完全に終焉を迎えることとなる。なお、いざなぎ景気の「57ヶ月」という持続期間は、2000年代の「いざなみ景気(2002年〜2008年、73ヶ月)」に抜かれるまで、長らく戦後最長の記録として歴史に刻まれていた。