竹田出雲 (たけだいずも)
【概説】
江戸時代中期の浄瑠璃作者、および人形浄瑠璃の劇場「竹本座」の座本(経営者)。近松門左衛門の没後に衰退の危機にあった竹本座を支え、人形浄瑠璃の黄金期を築いた人物。初代(?〜1747)と二代(1691〜1756)が知られ、特に二代目は複数の作者による「合作制」を導入し、『仮名手本忠臣蔵』をはじめとする不朽の名作を世に送り出した。
竹本座の再興と初代・竹田出雲の工夫
初代竹田出雲は、もともと大坂道頓堀でからくり人形の興行を行っていたからくり人形師の家系であった。その卓越した技術と興行センスを見込まれ、竹本義太夫が創設した竹本座の経営(座本)に参画。負債を抱えていた同座の財政を再建した。近松門左衛門の死後は自らも浄瑠璃の作劇に携わるようになり、からくり技術を応用した斬新な舞台装置や、人形の目を動かす・指を動かすといった視覚的な改良(手摺や人形の考案)を次々と導入した。これにより、耳で聴く義太夫節から「目で見る人形浄瑠璃」への脱皮をはかり、観客を魅了し続けた。
合作制の確立と二代目出雲による黄金期
初代の跡を継いだ二代目竹田出雲の時代に、人形浄瑠璃は文学的・演劇的な頂点を迎える。二代目出雲は、それまで主流だった一人の作者による執筆から、複数の作者が分担して物語を紡ぐ合作制をシステム化させた。彼は実質的なプロデューサー(親作者)として、希代の劇作家である並木千柳(宗輔)や三好松洛らと緊密な共同創作体制を構築。これにより、複雑に絡み合う人間模様や壮大な歴史背景を持つ、劇的でスピード感あふれる長編作品の量産が可能となった。
「三大名作」の誕生と後世への多大な影響
二代目出雲らが手がけた『菅原伝授手習鑑』(1746年)、『義経千本桜』(1747年)、『仮名手本忠臣蔵』(1748年)の3作は、人形浄瑠璃の歴史における「三大名作」と称される。特に、赤穂浪士の仇討ち事件を足利時代の歴史劇に託して描いた『仮名手本忠臣蔵』は空前の大ヒットとなり、竹本座の経営に黄金期をもたらした。これらの名作は、当時人気が低迷していた歌舞伎界にもすぐに移植され(これを「義太夫狂言」や「丸本歌舞伎」と呼ぶ)、現代にいたる歌舞伎の人気演目として定着した。竹田出雲らが開拓した合作制と劇的な構成美は、日本演劇史に決定的な影響を与えたのである。