環境庁

1971年、公害対策基本法の制定などに続き、公害行政を統一的に行うために総理府の外局として新設された官庁はどこか?
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環境庁

1971年〜2001年

【概説】
1971年、各省庁に分散していた公害行政を一本化し、自然環境の保護などを総合的に推進するために新設された国の行政機関。高度経済成長に伴って全国規模で深刻化した公害問題に対処する目的で設立され、2001年の中央省庁再編に伴い環境省へと改組された。

高度経済成長と公害問題の深刻化

第二次世界大戦後の日本は、1950年代後半から1970年代初頭にかけて前例のない高度経済成長を遂げた。重化学工業化の推進は国民生活を豊かにした一方で、企業による産業廃棄物や有害物質の無秩序な排出を招き、全国各地で深刻な環境破壊を引き起こした。その代表例が、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくからなる四大公害病である。これらの公害問題は、地域住民の生命や健康を著しく脅かす深刻な社会問題へと発展し、政府による本格的な対策が急務となった。

「公害国会」と縦割り行政の限界

公害問題に対する国民の批判が高まる中、政府は1967年に公害対策基本法を制定した。しかし、当時の公害・環境行政は、厚生省(健康被害)、通商産業省(産業指導)、運輸省(自動車排出ガス)、建設省(河川水質)など各省庁に分散しており、いわゆる「縦割り行政」の弊害によって迅速かつ効果的な対策を打ち出すことができなかった。こうした事態を重く見た佐藤栄作内閣は、1970年後半に召集された第64回臨時国会、通称「公害国会」において、公害対策基本法の改正や大気汚染防止法の改正など、14に上る公害関連法案を矢継ぎ早に成立させた。そして、これら関連法を強力かつ総合的に運用するための司令塔が必要とされたのである。

環境庁の発足と環境行政の展開

公害国会での決議を受け、1971(昭和46)年7月1日、総理府の外局として環境庁が発足した。各省庁から公害行政や自然保護行政にかかわる部局が移管・統合され、日本の環境政策を一元的に担う体制が整えられた。発足当初は公害の未然防止や被害者の救済、自然環境の保全が主たる任務であり、大気や水質の環境基準の策定、公害健康被害補償法の制定などにおいて主導的な役割を果たした。その後、1980年代以降は地球温暖化やオゾン層破壊といった地球規模の環境問題が顕在化し、環境庁の果たすべき役割は国際的な環境保全へと大きく拡大していった。これに伴い、1993年には従来の公害対策基本法を発展的に解消した環境基本法が制定されている。

中央省庁再編と環境省への昇格

環境庁は発足以来、日本の環境行政の中心として機能してきたが、依然として廃棄物処理行政が厚生省の管轄であるなど、権限の不足が指摘されることもあった。そうした中、21世紀の新たな行政課題に対応するため、2001(平成13)年1月6日に中央省庁再編が実施された。これに伴い、環境庁は厚生省から廃棄物処理行政などを引き継ぐ形で権限を大幅に強化され、他の省と同格の環境省へと昇格・改組された。これにより、環境庁の30年にわたる歴史は幕を閉じたが、その理念と機能は現在の環境行政へと確実に受け継がれている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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