円切上げ(ドル切下げ)
【概説】
1971年12月のスミソニアン合意に基づき、日本の為替レートが1ドル=360円から308円に変更され、円の対ドル価値が大幅に高められた出来事。戦後の国際通貨体制であったブレトン・ウッズ体制の崩壊過程における、歴史的な多国間為替調整の一環である。
ニクソン・ショックと固定相場制の動揺
1949年(昭和24年)に定められた1ドル=360円の固定為替相場は、戦後の日本にとって輸出主導型の高度経済成長を支える最大の推進力であった。しかし、1960年代後半になると、アメリカはベトナム戦争の泥沼化や軍事費の膨張、対日・対西独貿易赤字の累積によって深刻なドル危機(金準備の減少)に直面する。
こうした中、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領は、ドルと金の兌換停止などを柱とする新経済政策を突如発表した。これは「ニクソン・ショック(ドル・ショック)」と呼ばれ、金・ドル本位制を機軸とする戦後のブレトン・ウッズ体制の崩壊を告げるものであった。日本政府は当初、1ドル=360円の維持を試みて外国為替市場を開き続けたが、押し寄せるドル売り・円買いの圧力に耐えきれず、同年8月28日に変動為替相場制への移行(円のフロート化)を余儀なくされた。
スミソニアン合意と「1ドル=308円」への切上げ
ドル危機に端を発した国際通貨秩序の混乱を収拾するため、1971年12月にワシントンのスミソニアン学術協会ビルで主要10カ国(G10)蔵相会議が開催された。この会議で結ばれた「スミソニアン合意」により、米ドルの価値を引き下げるとともに、各国の通貨価値を多国間で再調整することが決定された。
この合意に基づき、日本の通貨「円」は、従来の360円から308円へと改定された。これは対ドルで16.88%という、参加国の中で最も高い引上げ率(円切上げ)であった。これにより、戦後日本経済の前提であった「1ドル=360円」の時代は終焉を迎え、日本は本格的な円高時代へと足を踏み入れることとなった。
円高不況の懸念と変動相場制への完全移行
大幅な円切上げは、輸出産業を中心に「円高不況」を招くとして日本国内に強い危機感をもたらした。これに対して佐藤栄作内閣および日本銀行は、不況回避を狙って大規模な財政出動と超低金利政策(金融緩和)を実施した。しかし、この過剰な資金供給は、直後の田中角栄内閣による「日本列島改造論」に伴う投資ブームと重なり、1973年以降の激しいインフレーション(狂乱物価)を誘発する一因となった。
また、スミソニアン合意による多国間固定相場制(スミソニアン体制)は、各国の経済力の実態を反映しきれず、わずか1年強で崩壊した。1973年(昭和48年)2月に再びドル不安が高まると、日本を含む主要国は相次いで再度の切上げを避け、完全な変動為替相場制へと移行した。円切上げの一連の歴史的展開は、日本が西側諸国における一流の経済大国として台頭したことを象徴する出来事であると同時に、国際的な通貨協調と国内の景気管理の難しさを示す転換点となった。