狂乱物価
【概説】
第1次石油危機(オイルショック)などを背景に、1973年から1974年にかけて日本国内で発生した異常なインフレーション状態。トイレットペーパー騒動に代表されるパニック的な買い占めや、企業による便乗値上げが相次ぎ、国民生活に深刻な打撃を与えた。この物価高騰と政府の金融引き締め策により、1950年代半ばから続いた高度経済成長は終焉を迎えることとなった。
インフレーションの伏線:過剰流動性と「列島改造ブーム」
1973年末に本格化する異常な物価高騰には、石油危機以前からその土壌が形成されていた。1971年のニクソン・ショックに伴う円切り上げ(固定相場制の崩壊)による不況を回避するため、当時の日本政府は大規模な金融緩和と財政出動を実施した。これにより、市中に資金が溢れかえる「過剰流動性」と呼ばれる状態が生み出された。
さらに1972年に成立した田中角栄内閣が「日本列島改造論」を掲げ、高速道路や新幹線などの大規模なインフラ整備構想を打ち出すと、開発を見込んだ企業によって土地や建設資材の投機的な買い占めが全国規模で横行した。この結果、石油危機が発生する前の1973年前半の段階ですでに地価や卸売物価は急上昇の兆しを見せており、インフレーションの火種はすでに燻っていたのである。
第1次石油危機とパニックの勃発
このような物価上昇の地合いのなか、1973年10月に第4次中東戦争が勃発し、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が親イスラエル国への石油禁輸と原油価格の大幅引き上げを発表した(第1次石油危機)。当時、一次エネルギーの約4分の3を中東からの輸入原油に依存していた日本社会には激しい衝撃が走った。
「石油が不足すれば紙やプラスチックなどの生産が滞る」という不安から、「トイレットペーパーがなくなる」「洗剤がなくなる」といった流言飛語が飛び交い、消費者がスーパーマーケットに殺到して商品を奪い合うように買い求めるトイレットペーパー騒動に代表されるパニックが発生した。砂糖や塩など、直接石油とは無関係な生活必需品までもが店頭から姿を消す異常事態となった。
「狂乱物価」の到来と社会への影響
石油価格の高騰はあらゆる製品の生産・流通コストを押し上げたが、企業はこの混乱に乗じて原価上昇分以上に価格を引き上げる「便乗値上げ」や、意図的に出荷を抑えて価格を吊り上げる「売り惜しみ」を相次いで行った。この結果、1974年の消費者物価指数は前年比で約23%上昇、卸売物価指数は約31%上昇という驚異的なインフレ率を記録した。当時の福田赳夫大蔵大臣はこの異常事態を「狂乱物価」と名付けた。
物価の急騰は国民の実質賃金を大幅に目減りさせ、生活を直撃した。これに対抗するため、労働組合は1974年の春闘で平均32.9%という空前の大幅賃上げを獲得したが、これがさらなる企業の生産コスト増を招き、物価と賃金の悪循環(スパイラル)に陥る懸念が高まった。
政府の対応と高度経済成長の終焉
事態を重く見た政府は、1973年に国民生活安定緊急措置法および生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置法(買いだめ防止法)を制定し、特定品目の標準価格設定や需給統制に乗り出した。同時に、日本銀行は公定歩合を段階的に過去最高の9.0%まで引き上げ、政府も公共事業を大幅に削減する強力な総需要抑制策を断行した。
これらの徹底した金融引き締めによって1975年頃には物価はようやく沈静化に向かったが、その代償として企業収益は悪化し、倒産や失業が急増した。1974年度の実質経済成長率は戦後初となるマイナス1.2%を記録し、長らく続いた高度経済成長期はここに完全に幕を下ろした。
「狂乱物価」の痛烈な教訓を経て、以後の日本企業はエネルギー効率を高める省エネ技術の開発や、人員削減を伴う「減量経営」へと舵を切り、日本経済は年率4〜5%程度の安定成長期へと構造的転換を遂げていくこととなる。