減量経営
【概説】
石油危機の打撃を受けた日本企業が、生き残りをかけて実施した人員削減や省エネなどを徹底する経営方針。高度経済成長期の拡大路線から、低成長(安定成長)時代に対応した効率的な企業体質への転換を目指した構造改革である。
石油危機による成長モデルの限界
1950年代半ばから続いていた日本の高度経済成長は、1973年(昭和48年)の第1次石油危機(オイルショック)によって終焉を迎えた。原油価格の暴騰は激しいインフレ(狂乱物価)を引き起こし、翌1974年には戦後初めて実質経済成長率がマイナスを記録した。
従来の「大量生産・大量消費」を前提とした、設備投資の拡大と売上最大化を目指す経営路線は維持不可能となった。需要の低迷と原材料・エネルギー価格の高騰に直面した日本企業は、深刻な赤字に陥るのを防ぐため、組織や業務の規模を縮小して効率性を極限まで高める「減量経営」へと舵を切ることとなった。
「減量」の具体策と日本的生産システムの普及
減量経営の具体的な手法は、主に「人件費」「財務(金利)」「物資(原材料・エネルギー)」の3分野におけるコスト徹底削減であった。人件費抑制のために新規採用の制限や残業規制、グループ企業への出向や配置転換が進められ、事実上の人員整理が行われた。また、過剰な借入金を返済して金利負担を減らし、自己資本比率を高める財務体質の強化が図られた。
生産現場においては、無駄な在庫を徹底的に排除する生産管理手法が導入された。特にトヨタ自動車が確立した、必要なものを必要な時に必要な分だけ生産する「ジャストインタイム(カンバン方式)」は、効率的な日本的生産システムの象徴として多くの製造業に普及した。あわせて、工場の省エネルギー化や資源の再利用を目的とした技術革新(省エネ投資)も精力的に進められた。
低成長時代への適応と日本経済への影響
減量経営への転換は功を奏し、日本企業は強固な体質改善を遂げた。これにより、1979年(昭和54年)に発生した第2次石油危機の際には、欧米諸国が激しいインフレと不況(スタグフレーション)に苦しむ中、日本は軽微な影響にとどめることに成功した。省エネに優れた日本製の小型自動車や精密機械は国際市場で圧倒的な競争力を獲得し、1980年代の日本の輸出主導型経済を支える原動力となった。
その一方で、減量経営による非正規雇用の拡大や、下請け企業へのコスト転嫁、さらには終身雇用・年功序列に代表される「日本的雇用慣行」の動揺など、現代の労働問題につながる構造的な歪みが生じる契機ともなった。