ハイテク(先端技術)分野
【概説】
半導体、コンピューター、新素材、バイオテクノロジーなど、高度な知識と先端科学技術を基盤とする産業分野。1970年代の石油危機を経て、従来の重厚長大型産業から軽薄短小型の知識集約型産業へと転換を図る日本経済の、新たな牽引役となった。
重化学工業から「軽薄短小」への産業構造の転換
1970年代、日本は二度にわたる石油危機(オイルショック)に直面し、それまでの高度経済成長期を支えてきた鉄鋼、造船、化学などの素材型・重化学工業(いわゆる「重厚長大」産業)が大きな打撃を受けた。これに対し、日本企業は徹底した省エネルギー化と製造工程の合理化を進めるとともに、高度な電子技術(エレクトロニクス)や新素材、精密機械などを駆使した、付加価値の高い知識集約型産業へと舵を切った。この構造転換によって台頭したのがハイテク(先端技術)分野であり、産業のトレンドは「重厚長大」から「軽薄短小」へと急速に変貌を遂げていった。
半導体産業の隆盛と「電子立国」の実現
ハイテク分野の中核を担ったのが、のちに「産業のコメ」と称されるようになった半導体や、コンピューター、精密制御機械である。特に1970年代後半から1980年代にかけて、通商産業省(現・経済産業省)が主導した官民共同の「超LSI技術研究組合」などのプロジェクトが功を奏し、日本はDRAM(記憶用半導体)をはじめとする先端技術分野で世界トップクラスの品質とシェアを誇るようになった。ビデオテープレコーダー(VTR)などの家電製品や自動車の電子化も進み、日本は名実ともに「電子立国」として世界経済における確固たる地位を築いた。
日米貿易摩擦と世界経済への影響
日本のハイテク製品の圧倒的な国際競争力は、巨大な対日貿易赤字を抱えるアメリカ合衆国との間で深刻な日米貿易摩擦(ハイテク摩擦)を引き起こした。米国は日本企業の安値攻勢や市場の閉鎖性を激しく批判し、1986年には日米半導体協定の締結を余儀なくされた。この結果、日本はハイテク製品の輸出自主規制や海外現地生産の拡大(直接投資の増加)を迫られ、日本の製造業のグローバル化を加速させる契機となった。しかし、同時にその後の急激な円高の進行や製造拠点の海外移転は、1990年代以降の国内産業の「空洞化」を招く一因ともなった。