産業の空洞化
【概説】
1980年代後半以降、急激な円高などを背景に日本の製造業が生産拠点を海外へ移転させたことで、国内の産業基盤が衰退した現象。国内の雇用機会の減少や地盤沈下を招き、日本経済が構造的な課題を抱える要因となった。
プラザ合意と急激な円高の衝撃
1980年代半ば、日本の輸出産業の躍進による対米貿易黒字は過去最大規模に達し、日米間の経済摩擦は深刻化していた。この状況を是正するため、1985年に先進5カ国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議で合意されたのがプラザ合意である。これにより、為替レートは急速な円高・ドル安へと誘導され、1ドル=240円台だった円相場は、わずか1年余りで150円台へと急騰した。
この急激な円高は、輸出主導で成長してきた日本の大企業に大打撃を与えた。国内生産のままでは海外市場での価格競争力を失うため、自動車や電気機器などの大手製造業は、生産コストの抑制と円高の悪影響を回避することを目的に、海外へ直接投資を行い、現地に工場を建設・移転する動きを急速に活発化させた。
アジア諸国への拠点移転と多国籍企業化
日本の企業が移転先として選んだのは、安価で優秀な労働力が豊富に存在する東アジアや東南アジアであった。当初は韓国や台湾などのアジアNIES、次いでタイやマレーシアなどのASEAN(東南アジア諸国連合)諸国へと生産拠点が移された。さらに1990年代の冷戦終結後は、市場経済化を進める中国が「世界の工場」として台頭し、日系企業の進出が爆発的に加速した。
これにより、日本の大企業は製品を日本から輸出するのではなく、海外の現地工場で生産し、現地や第三国で販売する「多国籍企業」へと変貌を遂げていった。
国内雇用の喪失と地域経済の地盤沈下
大企業の海外移転が進む一方で、日本国内では「産業の空洞化」が深刻な問題となった。国内工場の閉鎖や縮小にともない、大企業の城下町として栄えていた地方都市では雇用機会が激減した。また、大企業の製造ラインに部品を納入していた中小の下請け・孫請け企業は受注を失い、廃業や倒産が相次いだ。
さらに、ものづくりの製造技術や熟練工の技能が海外に流出し、国内での技術継承が断絶するという問題も浮上した。日本経済は、製造業に代わって第3次産業(サービス業)の比重が高まる産業構造のソフト化が進んだものの、製造業が担っていた安定した雇用や中間層の所得を十分に代替できず、非正規雇用の増大や所得格差の拡大といった、その後の長期デフレ経済(「失われた30年」)の要因を作ることとなった。