双子の赤字
【概説】
1980年代のレーガン政権下のアメリカ合衆国において、巨額の財政赤字と貿易赤字が同時に累積した経済状態。この深刻な経済不均衡は日米間の激しい貿易摩擦を引き起こし、のちの日本経済のあり方を大きく左右する契機となった。
レーガノミクスと「双子の赤字」の発生メカニズム
1981年に誕生したアメリカのロナルド・レーガン政権は、「強いアメリカの再建」を掲げてレーガノミクスと呼ばれる一連の経済政策を展開した。この政策は、大幅な減税による民間経済の活性化と、冷戦下におけるソビエト連邦への対抗を目的とした軍事費の大幅な増大を二大潮流としていた。
しかし、減税による歳入減少と国防費の急増は政府予算を劇的に圧迫し、結果として巨額の財政赤字を生み出した。さらに、国内のインフレを抑制するために実施された高金利政策は、高利回りを求める海外の投機資金をアメリカ国内に呼び込み、外国為替市場で急激な高金利・ドル高をもたらした。このドル高がアメリカ製品の輸出競争力を著しく低下させ、逆に日本や西ドイツなどからの安価で高品質な輸入品を急増させたため、巨額の貿易赤字が並存することとなった。この2つの赤字が同時に累積する状態は「双子の赤字」と呼ばれ、1980年代を通じてアメリカ経済を苦しめる最大の問題となった。
日米貿易摩擦の激化と日本への影響
アメリカの貿易赤字における最大の黒字国となったのが、高度経済成長を経て高度な産業競争力を確立していた日本であった。日本は自動車、半導体、カラーテレビなどの家電製品をアメリカへ大量に輸出し、対米貿易黒字を飛躍的に増大させた。これに対し、アメリカ国内の産業界や労働組合、議会からは不満が噴出し、深刻な日米貿易摩擦(経済摩擦)へと発展した。
アメリカ国内では日本製品を破壊する「ジャパン・バッシング」が横行し、政治的圧力となって日本政府に市場開放を迫った。日本は、自動車の対米輸出自主規制や、牛肉・オレンジの輸入自由化合意など、度重なる譲歩を余儀なくされ、日米間の外交問題は昭和後期における極めて緊迫した懸念事項となった。
プラザ合意から昭和「バブル経済」への連鎖
「双子の赤字」とりわけ貿易赤字の解消を目指したアメリカは、ドル高を強制的に是正するため、1985年に先進5カ国(G5)の蔵相・中央銀行総裁会議を招集し、為替介入への合意を取り付けた。これがプラザ合意である。合意後、外国為替市場では急速な円高ドル安が進行し、1ドル=240円前後だった為替レートは、わずか1年ほどで150円台にまで急騰した。
急激な円高は日本の輸出産業に大打撃を与え、一時的に「円高不況」と呼ばれる景気後退を招いた。これに対し、日本政府と日本銀行は景気下支えのために超低金利政策を導入し、国内の金融緩和を強力に推し進めた。この緩和によって溢れた過剰な資金が、行き場を求めて土地や株式へと流れ込み、地価や株価の異常な高騰を招くこととなった。これこそが、昭和末期から平成初期にかけて日本中を席巻したバブル経済の引き金である。アメリカの「双子の赤字」に端を発した経済調整は、めぐりめぐって日本経済の構造をバブルという未曾有の狂乱と、その後の長期低迷(失われた30年)へと導く歴史的転換点となったのである。