ゴルバチョフ
【概説】
1985年にソ連共産党書記長となり、ペレストロイカを推進して冷戦を終わらせたソビエト連邦最後の最高指導者。新思考外交を展開して東西対立に終止符を打ち、1991年にはソ連の国家元首として史上初めて訪日し、日本の平成初期の外交にも多大な影響を与えた。
書記長就任と内政改革(ペレストロイカ)
1985年、チェルネンコの死去に伴い54歳の若さでソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、停滞していたソ連経済の再建と硬直化した社会制度の刷新を目指し、ペレストロイカ(立て直し)と呼ばれる抜本的な改革に着手した。同時にグラスノスチ(情報公開)を推進して言論や報道の自由を拡大した。これにより、長らく隠蔽されていたソ連体制の矛盾や歴史的汚点が明らかとなり、社会の民主化が急速に進展することとなった。
新思考外交と冷戦の終結
外交面においてゴルバチョフは、従来の階級闘争論を放棄して全人類的な利益を優先する「新思考外交」を掲げた。泥沼化していたアフガニスタンからのソ連軍撤退(1989年完了)や中ソ関係の正常化を実現し、西側諸国との緊張緩和に努めた。特にアメリカとの軍縮交渉に注力し、1987年には中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。そして1989年12月、地中海のマルタ島でアメリカのブッシュ(父)大統領と会談し、第二次世界大戦後40年以上にわたって続いた冷戦の終結を正式に宣言した。この出来事は、東欧革命や東西ドイツの統一を後押しし、世界史的な大転換点となった。
史上初の訪日と日ソ関係の転換
日本の現代史(平成時代)においても、ゴルバチョフの動向は極めて重要な意味を持つ。冷戦構造が崩壊する中、日本国内では長年の懸案であった北方領土問題の解決に大きな期待が寄せられた。1991年4月、ゴルバチョフはソ連の最高指導者として史上初めて日本を訪問し、海部俊樹首相と計6回におよぶ首脳会談を行った。この際発表された日ソ共同声明では、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島の名称が初めて明記され、両国間に領土問題が存在することが公式に確認された。領土返還の即時実現には至らなかったものの、「領土問題は存在しない」と強硬姿勢を貫いていたそれまでのソ連の態度から一転し、平和条約締結に向けた交渉の土台が築かれた歴史的意義は大きい。
ソ連崩壊と日本外交への影響
冷戦終結という世界的偉業を成し遂げ、1990年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフであったが、急激な国内改革はソ連国内に深刻な民族対立や経済的混乱をもたらした。1991年8月の保守派によるクーデター未遂事件を経て彼の求心力は失墜し、同年12月のソビエト連邦崩壊とともに大統領を辞任した。彼の主導した冷戦の終結とソ連の消滅は、日本を取り巻く国際環境を激変させた。東西対立という枠組みが消滅したことで、日本は1990年代以降、湾岸戦争を契機としたPKO(国連平和維持活動)協力法の成立など、新たな安全保障政策や国際貢献のあり方を根本から模索していくこととなる。