宇野宗佑内閣

高校日本史的重要度
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【参考リンク】
宇野内閣(Wikipedia)

宇野宗佑内閣 (うのそうすけないかく)

1989年

【概説】
リクルート事件で退陣した竹下登内閣の後を受け、1989年(平成元年)6月に発足した自由民主党の単独内閣。首相自身の女性スキャンダルや消費税導入への反発から、直後の参議院議員選挙で大敗を喫した。在職期間わずか69日という、日本の憲政史上屈指の短命政権である。

リクルート事件の逆風と宇野内閣の発足

1980年代末、日本政界はリクルート事件と呼ばれる未曾有の贈収賄スキャンダルに揺れていた。この事件によって、当時の首相であった竹下登をはじめ、自民党の実力者(ニューリーダーたち)が軒並み政治的ダメージを受け、竹下内閣は退陣を余儀なくされた。後継首相の選定において、リクルート社からの資金提供を受けていない「クリーンな人物」であることが絶対条件とされる中、当時外務大臣であった宇野宗佑に白羽の矢が立ち、1989年6月3日に内閣が発足した。

トリプル逆風による参院選大敗と「ねじれ国会」の始まり

宇野内閣は発足直後から激しい逆風にさらされた。1989年4月に導入されたばかりの消費税(税率3%)への国民的不満に加え、農産物の輸入自由化に伴う農家の自民党離れ、さらに追い打ちをかけるように宇野首相自身の女性問題(スキャンダル)が週刊誌に報道され、世論の猛反発を招いた。これら「消費税・農政・女性問題」のトリプル逆風のなかで迎えた同年7月の第15回参議院議員選挙において、自民党は歴史的大敗を喫し、結党以来初めて参議院での過半数を割り込んだ。対照的に、日本社会党は「山が動いた」の名言で知られる土井たか子委員長のもとで女性候補(マドンナ旋風)を多数当選させて大躍進を遂げた。宇野首相はこの敗北の責任をとって退陣を表明し、宇野内閣は8月10日に総辞職した。この選挙を契機に衆参両院の多数派が異なる「ねじれ国会」の状況が生まれ、以後の日本の政権運営に大きな影響を与えることとなった。

最終更新:
2026年10月6日 @ 16:08

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