国旗・国歌法
【概説】
1999(平成11)年に成立し、日章旗(日の丸)を国旗、君が代を国歌と法的に正式に定めた法律。それまで慣習的に扱われてきた両者に対し、初めて明確な法的根拠を与えた。
法制化の契機となった「公立高校の混乱」
国旗・国歌法(正式名称は「国旗及び国歌に関する法律」)の成立の直接の契機となったのは、1999年初頭に広島県の県立高校で起きた校長自殺事件であった。当時、文部省(現・文部科学省)は学習指導要領に基づき、学校の入学式や卒業式における「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱を強く指導していた。しかし、戦前の軍国主義や天皇崇拝との結びつきを懸念する教職員組合や一部の市民団体、生徒との間で激しい対立が生じていた。管理職である校長が、行政側からの掲揚・斉唱義務付けの厳格化の指示と、それに反発する教職員との間で板挟みになり自死に至ったこの事件は、社会的に大きな衝撃を与えた。これを機に、当時の小渕恵三内閣は、これまで曖昧であった「日の丸」「君が代」の法的根拠を明確にすることで事態の収拾を図るべく、法制化へ舵を切った。
国会における法案成立と激しい論争
それまで政府は、「日の丸」と「君が代」は慣習的に国旗・国歌として広く定着しているため、あえて法律で規定する必要はないという立場をとっていた。しかし、小渕内閣が提出した法案は、わずか2条からなる極めて簡潔なもので、第1条で「国旗は、日章旗とする」、第2条で「国歌は、君が代とする」と規定した。
国会審議では、野党や一部の言論界から激しい異論が噴出した。特に、「君が代」の歌詞が天皇の治世の繁栄を祈るものであることから、日本国憲法が掲げる主権在民や思想・良心の自由(憲法第19条)に抵触するのではないかという懸念が示された。また、法制化によって学校教育の現場や一般社会において、起立や斉唱の強制が進むのではないかという点も議論の的となった。これに対し小渕首相は、「法制化によって国民に新たな義務を課すものではない」と答弁を繰り返し、1999年8月、自民党・自由党・公明党などの賛成多数で可決・成立した。
法制化後の教育現場と歴史的意義
政府は国会審議において「国民に義務付けは行わない」としたものの、国旗・国歌法の成立以降、地方自治体の教育委員会などによる指導体制はかえって強化されることとなった。特に東京都などでは、入学式や卒業式での起立・斉唱を怠った教職員に対して減給や停職などの懲戒処分が相次いで下され、これが思想・良心の自由を侵害しているとして多くの訴訟が提起された。これに対し最高裁判所は、教職員に対する起立斉唱の職務命令は「合憲」とする判断を示しつつも、過度な処分については抑制を求めるなど、司法の場でも判断が分かれる複雑な様相を呈した。
歴史的に見れば、明治期の1870年に日章旗が国旗としての体裁を整え、「君が代」が宮中行事や教育の場で歌われるようになって以来、これらのシンボルは常に日本の国家主義や戦争の歴史と深く結びついて議論されてきた。国旗・国歌法は、戦後日本が長年抱え続けてきた「国家と個人(憲法精神)」、「戦前・戦中の記憶の総括」という対立軸を、平成という新たな時代の中で改めて浮き彫りにした象徴的な法律であると言える。