赤紙
【概説】
近代日本の戦時下において、兵役義務のある男性を軍隊に緊急召集するために発付された「召集令状」の俗称。用紙に淡紅色(赤色)の紙が使用されていたことからこの名で呼ばれ、国民にとっては事実上の戦地への動員、ひいては死への宣告を意味するものとして恐れられた存在。
召集令状の制度と「赤」が意味するもの
明治政府が1873年(明治6年)に徴兵令を制定して以降、日本の男子には兵役の義務が課された。平時に軍隊に入る「徴集」とは異なり、戦時や事変に際して現役兵や予備役・後備役などを急遽動員することを「召集」と呼んだ。この召集を命令する公文書が召集令状である。
令状にはいくつかの種類があり、最も一般的な「充員召集(戦争の際に部隊を編成・補充するための召集)」の令状に淡紅色(赤色)の紙が用いられた。これに対し、演習召集は白、防衛召集は薄緑などと色分けされていたが、戦時体制が強化される中で「赤紙」の存在感のみが圧倒的なものとなり、召集令状そのものの代名詞となった。
総力戦体制下の「赤紙」と民衆への影響
1937年(昭和12年)の日中戦争勃発から1941年(昭和16年)の太平洋戦争へと至る激しい戦時下において、戦線拡大に伴う兵力不足を補うため、赤紙は大量に発行された。当初は若年層や退役して間もない予備役が対象であったが、戦況の悪化とともに年齢制限が引き上げられ、配偶者や子供を持つ一家の大黒柱や、学徒出陣による学生たちにも赤紙が届くようになった。
赤紙は、各市町村の兵事係を通じて、早朝や深夜を問わず警察官や役場職員によって本人や家族に手渡された。受け取った者は数日以内(時には即日)に指定された部隊へ出頭しなければならず、拒否することは兵役法違反として厳しく罰せられた。この一枚の紙切れが、人々の日常を強制的に断絶し、家族を戦火へと送り出す国家権力の絶対性の象徴として、戦後も広く記憶されることとなった。