最高裁判所
【概説】
1947(昭和22)年施行の日本国憲法に基づき、司法権の最高機関として設置された国家機関。一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限(違憲立法審査権)を終審として持つことから「憲法の番人」と呼ばれる。大日本帝国憲法下の司法制度が抱えていた限界を克服し、法の支配と基本的人権の擁護を担保する重要な役割を担っている。
明治憲法下の司法制度とその限界
大日本帝国憲法(明治憲法)下においても、司法権の独立はある程度保障されており、通常の民事・刑事事件の最終審として大審院が設置されていた。しかし、当時の司法権はあくまで「天皇の名において」行使されるものとされ、憲法上保障された臣民の権利も「法律の範囲内」という留保がつけられていた。さらに、行政事件を扱う行政裁判所や軍人を裁く軍法会議、皇族を裁く皇室会議といった特別裁判所が広く認められており、大審院の管轄が及ばない領域が多く存在した。また、当時の裁判所には法律が憲法に違反していないかを審査する権限(違憲立法審査権)は与えられておらず、帝国議会の制定した法律や行政権の行使に対する強力な歯止めとはなり得なかった。
戦後改革と最高裁判所の創設
第二次世界大戦での敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導による戦後改革の一環として、徹底した民主化と人権保障の強化が進められた。1947(昭和22)年に施行された日本国憲法では、三権分立の原則が明確化されるとともに、司法権の地位が飛躍的に高められた。憲法第76条により、すべての司法権は最高裁判所および法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属すると規定され、特別裁判所の設置や行政機関による終審としての裁判が厳格に禁止された。これにより、最高裁判所は国家のあらゆる法的紛争に対して最終的な判断を下す強力な権限を単一の司法体系のもとで掌握することとなった。
「憲法の番人」としての違憲立法審査権
最高裁判所を特徴づける最も重要な権限が、憲法第81条に基づく違憲立法審査権である。これは、国会が制定した法律や行政の処分が、国の最高法規である憲法に違反していないかを審査し、最終的な決定を下す権限である。この権限を保持し、憲法秩序を維持する最終責任を負うことから、最高裁判所は「憲法の番人」と呼ばれる。日本の制度では、アメリカ型を範とし、具体的な訴訟事件を前提としてその解決に必要な限りにおいて憲法判断を行う「付随的違憲審査制」が採用されている。最高裁判所は、国会(立法)や内閣(行政)の判断を尊重して法律の違憲判断に慎重な姿勢(司法消極主義)をとることが多いと批判されることもあるが、1973(昭和48)年の尊属殺重罰規定違憲判決や、のちの衆参両院の議員定数不均衡(一票の格差)をめぐる判決など、歴史の転換点において基本的人権や民主主義の根幹を擁護する重要な違憲判決を下してきた。
裁判官の独立と国民審査制度
司法権がその責務を果たすためには、外部からの干渉を受けないことが不可欠である。そのため憲法は、すべて裁判官は「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定め、手厚い身分保障を与えている。一方で、強大な権限を持つ最高裁判所裁判官(長官1名と判事14名の計15名)に対しては、主権者である国民による民主的統制を図るための仕組みとして国民審査制度(憲法第79条)が設けられた。これは、裁判官の任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際、およびその後10年を経過した総選挙の際に、国民の直接投票によって罷免の可否を問う制度である。これまでに罷免された裁判官は存在しないものの、国民主権の原理を司法権の最高機関にも直接及ぼす日本国憲法の理念を象徴する制度として、大きな歴史的・政治的意義を有している。