在村地主
【概説】
第二次農地改革において、一定面積を超える小作地を政府に買収された、その土地の所在市町村に居住している地主。農村を離れて都市部などに居住する「不在地主」と対比される概念であり、戦後の農村民主化と寄生地主制解体の過程を理解する上で重要な階層である。
在村地主と不在地主の歴史的背景
近代日本の農業構造を規定していた寄生地主制において、地主階層は居住地によって大きく二つに分類された。一つは、所有する農地と同じ市町村内に居住する在村地主であり、もう一つは、農村を離れて都市部などに居住し、小作料の収取のみを行う不在地主である。明治時代の地租改正以降、地主への土地集中が進む中で、地主の中には自らも農業を営みながら余剰地を貸し付ける者から、完全に耕作から離脱して高額な小作料収入のみに依存する者まで多様な形態が生まれた。
農村社会における在村地主の役割
在村地主は、単なる土地所有者としての経済的権力にとどまらず、農村社会において多面的な役割を担っていた。彼らは村落内の水利調整や農業技術の改良、地方政治、教育、信用組合の運営などにおいて指導的な地位を占める名望家であることが多かった。しかし、大正時代から昭和初期にかけて資本主義が発達し、昭和恐慌によって農業危機が深刻化すると、小作農の生活は窮迫した。これにより、在村地主と小作農の間の階級的対立が顕在化し、全国各地で激しい小作争議が頻発するようになった。
第二次農地改革における買収基準
太平洋戦争敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により、日本政府は農村の民主化を目指して農地改革を断行した。1946年(昭和21年)から実施された第二次農地改革(自作農創設特別措置法に基づく)では、地主の土地保有に対して極めて厳格な基準が設けられた。
この改革において、村に居住していない不在地主の小作地は面積を問わず全面買収の対象となった。一方、在村地主については、地主としての一定の保有が認められたものの、その上限は都府県で平均1町歩、北海道で4町歩に制限された。この限度を超える小作地はすべて政府によって強制買収され、安価で小作人に売り渡された。さらに、自作地と小作地を合わせた全体の所有面積にも上限(都府県で平均3町歩、北海道で12町歩)が設定され、地主による大規模な土地支配は不可能となった。
寄生地主制の解体と歴史的意義
第二次農地改革により、全国の小作地の約80%が解放され、多くの小作農が自らの土地を持つ自作農へと転換した。在村地主は不在地主とは異なり、わずかな小作地の保有は認められたものの、大規模な土地集積による小作料収入に依存する経済基盤は完全に失われた。
この結果、明治以降の日本資本主義の底辺を支えてきた寄生地主制は実質的に解体された。かつての在村地主の多くは、限度内に縮小された自作地を耕作する自作農となるか、林業や農業以外の事業へ転身することを余儀なくされた。これにより、長らく続いた農村における地主と小作人の身分的な支配・従属関係は消滅し、戦後日本の農業生産力の飛躍的な向上と、保守的な農村社会の安定化をもたらす決定的な要因となったのである。