出雲大社

重要度
★★

出雲大社 (創建:古代)

【概説】
島根県出雲市に鎮座し、国譲り神話で知られる大国主神を祀る日本最古級の神社。古代の出雲地方における有力な政治・宗教的勢力を背景に持ち、ヤマト朝廷からも特別な崇敬と警戒を受けた聖地である。

「国譲り神話」と出雲大社創建の歴史的背景

『古事記』や『日本書紀』などの記紀神話において、出雲大社(古代には杵築大社と称された)の創建は、地上世界(葦原中国)の支配権を天上の神々に譲る「国譲り」の代償として語られる。地上を支配していた大国主神(オオクニヌシノカミ)が、天孫(天皇の祖先)に国土を譲る条件として、天の御子が住む宮殿に匹敵する壮大な社殿の造営を求めたことが起源とされる。

この神話は、歴史学的には弥生時代から古墳時代にかけて、出雲地方にヤマト政権(大和朝廷)とは異なる独自の強大な政治勢力が存在したことを投影していると考えられている。荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土した大量の青銅器、あるいは巨大な四隅突出型墳丘墓などは、古代出雲の文化的・軍事的実力を証明している。ヤマト政権は出雲を武力で完全に制圧するのではなく、その強大な神霊を丁重に祀り上げる(封じ込める)という宗教的懐柔策をとる必要があり、それが大社の創建につながったとされる。

律令国家における「出雲国造」と朝廷の関係

古代の出雲大社を管理し、その祭祀を世襲で主宰したのが、在地の有力豪族である出雲国造(いずものくにのみやつこ)であった。律令制が整備され、全国の国造が実権を失い郡司などへ再編されていく中で、出雲国造は独自の宗教的・政治的地位を維持し続けた。

特に、新たな出雲国造が就任した際に朝廷へ参上し、天皇の長寿と治世を祝福する寿詞を奏上する「出雲国造神賀詞(しんかじ)」の儀式は重要である。これは、出雲の服属を儀礼的に再現する極めて重要な国家行事であり、ヤマト朝廷が他地域の豪族とは異なる「宗教的大国」としての出雲をいかに重視し、かつその神威を恐れていたかを示している。

巨大社殿「大社造」と中世・近世への信仰の変容

出雲大社の本殿は、日本最古の神社建築様式の一つである「大社造(たいしゃづくり)」の代表例である。古代の出雲大社は、現在の本殿(約24メートル)を遥かに凌ぐ、高さ16丈(約48メートル)におよぶ空中神殿のような超高層建築であったと伝えられていた。長年これは伝説とされてきたが、2000年に境内から大杉3本を束ねた巨大な「宇豆柱(うづばしら)」が発掘されたことにより、古代に巨大社殿が実在した可能性が極めて高まり、考古学・建築史の双方に大きな衝撃を与えた。

中世から近世にかけては、源頼朝や豊臣秀吉、徳川家康ら武家政権からの崇敬を集める一方で、「御師(おし)」と呼ばれる布教活動を行う神職たちによって、信仰が全国の庶民へと広められた。十月(神無月)には全国の八百万の神々が出雲に集まるという「神在月(かみありづき)」の信仰や、大国主神の「縁結び」の神格化は、この時期に広く定着し、現在に至るまで多くの参拝者を集める要因となっている。

出雲大社 (学生社 日本の神社シリーズ)

国譲りの神話から現在の社殿まで、日本最古の歴史を刻む出雲大社の全貌を紐解く、神域の深淵に触れる一冊。

出雲の歴史と地域文化3 ~中世編~(いづも財団叢書11)

中世出雲の政治情勢や宗教的背景を丹念に掘り下げ、地方都市としての変遷と独自の文化を浮き彫りにする貴重な歴史考証の書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1972年に奈良県明日香村で発見され、極彩色で描かれた四神や「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像で有名な壁画は何か?
Q. 鹿児島県霧島市にある縄文時代早期の巨大集落跡で、国内最古級の竪穴住居跡群や連穴土坑が発見された遺跡はどこか?
Q. 持統天皇の時代の690年に作成され、これ以降「六年一造」の原則で戸籍が作成される出発点となった重要な戸籍を何というか?