1町歩(北海道は4町歩)

第二次農地改革において、在村地主が保有することを認められた小作地の限度面積は、都府県でどれだけか?(北海道は4町歩)
カテゴリ:
重要度
★★

1町歩(北海道は4町歩) (いっちょうぶ(ほっかいどうはよんちょうぶ)

1946年

【概説】
第二次世界大戦後の第二次農地改革において、在村地主が保有することを許された小作地の最高限度面積。これを超える小作地は政府が強制的に買収し、小作農に売り渡された。戦前の寄生地主制を事実上解体し、膨大な自作農を創出する契機となった画期的な法解釈上の基準。

第二次農地改革の断行と徹底した保有制限

1945年(昭和20年)12月、日本政府は第一次農地改革を進めようとしたが、地主の自主的な譲渡に依存する部分が多く、在村地主の小作地保有制限も5町歩と緩やかであった。このため連合国軍総司令部(GHQ)は改革の不徹底さを批判し、より急進的な改革を要求した。これを受けて1946年10月に制定されたのが、自作農創設特別措置法と改正自作農創設特別措置法による第二次農地改革である。

第二次農地改革においては、寄生地主制の根絶が徹底して図られた。不在地主(農村に居住せず土地だけを所有する地主)の小作地は、面積の大小にかかわらず全額(全面積)強制買収の対象とされた。一方、農村に住み自らも農業を営む在村地主に対しては一定の配慮がなされたものの、その小作地保有の上限は平均1町歩(北海道では4町歩)に厳しく制限され、制限を超える分はすべて政府によって買い上げられた。

北海道における「4町歩」の例外規定と地域差

在村地主の保有上限において、都府県が平均1町歩であったのに対し、北海道のみ「4町歩」という4倍の基準が設けられた。これには北海道の自然環境と農業経営の特異性が大きく関係している。

北海道は寒冷な気候であるため、都府県と同じような小規模・集約的な稲作中心の農業を行うことが困難であった。そのため、1戸あたりの経営規模を大きくせざるを得ない畑作や酪農などの粗放的農業が主流であった。この地域的な農業構造の違いを考慮し、経営を維持するために必要な最低限の面積として、北海道には4町歩という広い特例措置が適用されたのである。

農地改革の歴史的意義と戦後社会への影響

政府が買収した小作地は、それまで実際にその土地を耕作していた小作農に極めて安価で売り渡された。さらに戦後の激しいインフレーションにより、土地代金の支払いは実質的にほぼ無償に近い形となり、多くの小作農が一躍して自分の土地を持つ自作農へと転化した。これにより、戦前の日本農村を支配していた地主と小作人の主従関係(寄生地主制)は完全に崩壊した。

この改革は、農村における民主化を急速に推し進め、農民の生産意欲を向上させて戦後の食糧難の克服に大きく貢献した。また、土地を手に入れた新興の自作農層は、戦後の安定した中間層(保守政権の強力な支持基盤)となり、戦後日本の社会構造と政治体制(いわゆる55年体制)の安定を支える基盤となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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