農地委員会
1946年
【概説】
第二次世界大戦後の農地改革(第二次農地改革)において、農地の強制買収や小作人への売り渡しなどの実務を執行するため、市町村ごとに設置された行政委員会。地主・自作農・小作人の3者から選出された委員によって構成され、戦後農村の民主化と寄生地主制の解体に決定的な役割を果たした機関である。
「地主3・自作2・小作5」の構成と小作人の優位
1945年に日本政府が自主的に試みた第一次農地改革(第一次農地改革法)では、市町村農地委員会の構成が地主5、小作5の同数とされたため、地主側の抵抗によって改革が実質的に機能しなかった。これに対し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の強い勧告を受けて1946年に制定された自作農創設特別措置法に基づく第二次農地改革では、委員の構成比率が「地主3:自作2:小作5」へと改められた。この小作人が過半数を占める非対称な構成により、従来農村を支配していた地主層の抵抗や買収回避の動きを抑え込み、安価な対価での農地買収と小作人への迅速な譲渡が実務レベルで強力に遂行されることとなった。
農村民主化への貢献と農業委員会への改組
農地委員会は、単なる土地の再分配を担う実務機関にとどまらず、戦後農村の社会構造を根底から変革する原動力となった。それまで地主に対して絶対的な従属関係にあった小作農たちが、自ら投票して委員を選出し、主体的に地域の土地利用を決定するプロセスを経験したことは、地方社会における民主主義教育の実践そのものであった。この過程で成長した自作農層は、その後の地方政治や農協運動の新たな担い手となっていった。なお、農地改革という歴史的使命を終えた農地委員会は、1951年に農業調整委員会や農地開発委員会と統合され、地方の農業行政全般を担う農業委員会へと改組・継承された。