教育基本法
【概説】
1947年(昭和22年)に制定され、日本国憲法の精神に基づく新しい教育の目的や理念を定めた法律。個人の尊厳や教育の機会均等などを明示し、戦前の国家主義的な体制から民主主義的・平和主義的な教育体制への歴史的転換をもたらした。
戦前教育からの脱却と制定の背景
戦前の日本の教育は、1890年に発布された教育勅語を頂点としており、天皇に対する忠君愛国を至高の道徳とする国家主義的なものであった。しかし、太平洋戦争での敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により、軍国主義的および極端な国家主義的教育は学校現場から徹底的に排除された。
1946年、第一次米国教育使節団の報告書が提出されると、日本政府は内閣に教育刷新委員会を設置し、新しい教育の根本的見直しに着手した。同年11月に日本国憲法が公布されると、主権在民や基本的人権の尊重、平和主義といった憲法の精神を教育分野で具現化するための「教育の根本法」が必要とされ、翌1947年3月31日、第92回帝国議会において教育基本法が成立・公布された。
平和と民主主義を目指す教育理念
1947年の教育基本法(旧法)は、前文と全11カ条から構成された。第1条で教育の目的を「人格の完成」と定め、平和的な国家および社会の形成者として、真理と平和を希求する人間の育成を目指すことを高らかに宣言した。国家のために国民を育成するという戦前の思想から、個人の自立と尊厳を重んじる思想へのコペルニクス的転回であった。
さらに、同法は日本国憲法の理念と連動し、教育の機会均等(第3条)、義務教育の9年制と無償化(第4条)、男女共学の原則(第5条)などを規定した。また、第10条において「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と明記し、国家権力による教育への過度な介入を戒め、教育の自主性を保障した点も極めて重要である。
学校教育法との「車の両輪」
教育基本法が教育の「目的や理念」を示す法律であるのに対し、それを具体化するための教育「制度」を定めたのが、同日に公布された学校教育法である。この二つの法律は、戦後教育改革における「車の両輪」として機能した。
学校教育法によって、戦前における複雑な複線型の学校体系は廃止され、誰でも平等に上の学校へ進学できる単線型の六・三・三・四制が導入された。小学校6年と中学校3年が義務教育とされ、教育基本法の謳う「教育の機会均等」が制度的・実質的に保障される基盤が完成したのである。
2006年の全部改正と現代の課題
制定後、約60年にわたって日本の教育の根本規定として機能してきた教育基本法であったが、時代の変遷とともに、いじめや不登校、学力低下などの教育問題が顕在化した。また、国際化の進展や、伝統文化や規範意識の軽視を憂慮する声が保守派を中心に高まっていった。
こうした社会的背景を受け、第1次安倍晋三内閣のもとで2006年(平成18年)に教育基本法の全部改正が行われた(新教育基本法)。新法では、旧法の基本的理念を継承しつつも、「豊かな情操と道徳心」の涵養や、「我が国と郷土を愛する」態度(愛国心)の育成、家庭教育の役割、生涯学習の理念などが新たに盛り込まれた。この改正は、国家による教育への関与の強化につながるとして激しい賛否両論を巻き起こしたが、21世紀の日本社会における新たな教育の羅針盤として現在に至っている。