国民協同党
1947〜1950年
【概説】
太平洋戦争後の政界再編期に結成された、協同主義を掲げる温和な中道政党。日本協同党などを前身とし、三木武夫らが指導して片山哲・芦田均の両連立内閣に参画した。資本主義と社会主義の双方に批判的な立場から、独自の協同社会の実現を目指した。
協同主義の提唱と結党の背景
国民協同党は、1947(昭和22)年3月に日本協同党や協同民主党などが合同して結成された。指導的役割を果たしたのが、戦後一貫して中道政治を志向した若き政治家・三木武夫らである。同党が掲げた「協同主義」は、過度な個人主義に基づく資本主義や、階級闘争を煽る社会主義の双方を批判し、農山漁村の協同組合(農協など)や中小企業を基盤とした相互扶助の社会を理想とした。この思想は、敗戦直後の混乱期において、急進的な左傾化を望まず、同時に既存の既得権益的な保守勢力にも満足しない層から一定の支持を集めた。
連立政権への参画と中道政治の帰結
1947年4月の総選挙の後、国民協同党は日本社会党(片山哲首相)および民主党との3党連立による片山哲内閣を組織し、三木は逓信大臣として入閣した。続く芦田均内閣でも政権を支え、戦後初期における中道リベラル政治の一翼を担った。しかし、激化する冷戦対立の中で政権内の路線対立が露呈し、さらに昭電疑獄の発生によって中道連立政権は崩壊へ追い込まれた。その後、国民協同党は1950(昭和25)年に民主党野党派などと合同して国民民主党を結成し発展的に解消したが、その穏健な中道リベラルの潮流は、のちの三木派など保守本流の左派勢力へと受け継がれていくこととなった。