拒否権
【概説】
国際連合の安全保障理事会において、5か国の常任理事国にのみ認められている特権。実質事項に関する決議において、常任理事国のうち1か国でも反対票を投じれば、その決議を阻止できる強力な権限である。大国間の決定的な対立を防ぐ目的で導入されたが、東西冷戦期から現代に至るまで、安保理が機能不全に陥る最大の要因ともなっている。
拒否権創設の背景と「大国一致の原則」
第二次世界大戦末期の1945年、サンフランシスコ会議において採択された国際連合憲章により、拒否権の制度が確立された。かつての国際連盟では「全会一致の原則」が採られていたため、一カ国でも反対すれば迅速な意思決定ができず、結果として第二次世界大戦を防ぐことができなかったという強い反省があった。そのため、新たな国際連合では多数決原理が導入された。
しかし同時に、世界の平和と安全に主要な責任を負う5つの大国(アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦、中華民国)には、安全保障理事会の常任理事国としての地位が与えられ、実質事項に関する決議を単独で阻止できる拒否権(Veto)が認められた。これは、軍事力や影響力を持つ大国同士の決定的な対立や武力衝突を回避し、大国間の協調のもとで国際平和を維持しようとする大国一致の原則に基づくものであった。
冷戦による機能不全と日本の国連加盟問題
しかし、第二次世界大戦後の冷戦の激化により、大国一致の原則は早々に崩壊した。とくにソ連は、資本主義陣営が多数を占める国連において自国や東側諸国の不利益を避けるため、頻繁に拒否権を行使した。これにより、安全保障理事会は本来の平和維持機能を果たせず、たびたび機能不全に陥ることとなった。
日本史の視点から見ると、戦後日本の国際社会への復帰も、この拒否権の厚い壁に直面した。1952年のサンフランシスコ平和条約発効に伴い、日本はただちに国連への加盟を申請したが、東西対立を背景にソ連が拒否権を行使したため、長らく加盟が認められなかった。日本の国連加盟がようやく実現するのは、1956年に鳩山一郎内閣のもとで日ソ共同宣言が調印され、日ソ間の国交が回復してソ連が加盟に同意(拒否権の不行使)した後のことである。
現代の国際社会における課題と安保理改革
冷戦終結後、一時期は安保理が協調して機能する場面も見られたが、21世紀に入るとアメリカ・イギリス・フランスの西側諸国と、ロシア・中国との間の対立が再び顕在化している。シリア内戦やロシアによるウクライナ侵攻などの重大な国際危機において、当事国や関係国である常任理事国が拒否権を行使し、国連が有効な平和維持活動を行えない事態が繰り返されている。
このような状況下で、拒否権の制限や常任理事国の枠組みを見直す安保理改革の議論が長年行われている。日本もドイツ、インド、ブラジルとともに「G4」を形成し、国連に対する多大な財政的・国際的貢献を背景に常任理事国入りを目指している。しかし、既存の常任理事国が持つ特権的な既得権益の壁や、各国の複雑な利害対立により、憲章改正を伴う改革は遅々として進んでいないのが現状である。