常任理事国(国際連合)

国連の安全保障理事会において、特定の任期を持たず、決議に対する拒否権を与えられた米英仏ソ中の5カ国を何と呼ぶか?
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常任理事国(国際連合)

1945年〜

【概説】
国際連合の安全保障理事会において、任期がなく拒否権を持つアメリカ・イギリス・フランス・ソ連(現ロシア)・中国の5カ国のこと。第二次世界大戦の主要戦勝国によって構成され、国際平和と安全の維持に関して強大な権限を有している。戦後日本の外交において、国連復帰の障壁となった時期を経て、現在では自らの常任理事国入りを重要な外交目標の一つに掲げている。

第二次世界大戦後の国際秩序と常任理事国の成立

1945年10月に発足した国際連合は、二度の大戦の惨禍を繰り返さないため、世界の平和と安全を維持するための強力な機関として設計された。その中核となるのが安全保障理事会(安保理)であり、第二次世界大戦の主要戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦(1991年以降はロシア連邦が継承)、中華民国(1971年のアルバニア決議以降は中華人民共和国が継承)の5カ国が常任理事国とされた。

戦前の国際連盟では、大国が不参加であったり脱退したりしたことで機能不全に陥った反省から、国連では大国を機構内に留め置くための妥協策として「大国一致の原則」が採用された。これにより、常任理事国には任期がなく、実質的な事項に関する決議を単独で阻止できる拒否権(Veto)が付与されている。この特権的な地位は、ヤルタ会談などで形成された戦後の国際秩序(ヤルタ体制)を制度的に固定化したものといえる。

冷戦の激化と日本の国連加盟における壁

常任理事国の特権である拒否権は、平和維持のために大国間の協調を前提としていた。しかし、戦後間もなく東西冷戦が激化すると、資本主義陣営(米英仏中)と社会主義陣営(ソ連)の対立により拒否権が頻発され、安保理はしばしば機能不全に陥った。

日本史の文脈において、この常任理事国の特権は、敗戦国である日本の国際社会復帰に大きな壁として立ちはだかった。日本は1951年のサンフランシスコ平和条約締結によって独立を回復し、翌1952年に国連加盟を申請した。しかし、西側陣営に属する日本の加盟に対し、東側陣営の常任理事国であるソ連が拒否権を発動したため、長らく加盟が認められなかった。日本の国連加盟がようやく実現したのは、1956年の日ソ共同宣言によって両国の国交が回復し、ソ連が加盟に同意した後のことである。

国際連盟時代の「常任理事国」との対比

日本と「常任理事国」という地位の関わりは、戦後の国際連合に限ったものではない。戦前の1920年に設立された国際連盟において、日本はイギリス、フランス、イタリアとともに連盟創設当初から常任理事国(四大国)の地位にあった。これは第一次世界大戦の戦勝国としての軍事的・経済的地位が国際的に認められた結果であった。

しかし、日本は1931年に満州事変を起こし、1933年に国際連盟総会でリットン調査団の報告書に基づく勧告案が可決されると、連盟を脱退して国際的な孤立の道を歩んだ。かつて自ら放棄した「常任理事国」という国際社会の指導的地位は、敗戦を経て国連に加盟した戦後日本にとって、失われた栄光と平和国家としての再出発を象徴するものであった。

日本の国連中心主義と安保理改革への模索

1956年の国連加盟以来、日本は「自由主義諸国との協調」「アジアの一員としての立場」とともに、「国連中心主義」を外交の基本三原則の一つに掲げてきた。高度経済成長を経て世界有数の経済大国となった日本は、国連分担金の拠出額で長らくアメリカに次ぐ第2位(現在は中国に次ぐ第3位)を占め、非常任理事国への選出回数も加盟国中で最多を誇るなど、国連内での存在感を大きく高めた。

冷戦終結後の1990年代以降、日本は自らの経済力や国際貢献(PKO派遣など)に見合った発言力を確保するため、ドイツ、インド、ブラジル(G4)などとともに安全保障理事会の改革を強く訴え、新たな常任理事国入りを目指す外交を展開している。しかし、特権の拡大を嫌う既存の常任理事国の思惑や、近隣諸国の反対、国連憲章改正のハードルの高さなどが壁となり、現在に至るまで実現していない。常任理事国という存在は、現代日本の国際社会における立ち位置や限界、そして今後の外交戦略を考える上で極めて重要なテーマであり続けている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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