安全保障理事会
【概説】
国際連合において、国際平和と安全の維持に主要な責任を負う最も権限の強い機関。第二次世界大戦後の国際秩序を維持・管理する中核として組織され、国連加盟国に対して拘束力のある決議を行うことができる。日本にとっては、1956年の国際連合加盟以降、アジア太平洋地域ひいては世界の平和に貢献するための外交的主舞台となってきた。
安全保障理事会の組織と強力な権限
安全保障理事会(安保理)は、第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省に立ち、より実効的な平和維持活動を行うために創設された。安保理は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア(旧ソ連)、中国(当初は中華民国、のちに中華人民共和国)の5つの常任理事国と、総会で選出される任期2年の非常任理事国(当初は6カ国、1965年以降は10カ国)によって構成される。
国際連合の他の機関(総会など)の勧告が原則として法的拘束力を持たないのに対し、安保理の決定はすべての国連加盟国を拘束する強い権限を持つ。紛争当事国に対する経済制裁や、国連軍・多国籍軍の派遣といった軍事措置を決定する権限を有している。ただし、常任理事国のいずれか1カ国でも反対すれば決議が成立しない拒否権の仕組みが存在するため、冷戦期には米ソの対立によってしばしば安保理が機能不全(停滞)に陥った。
日本の国際社会復帰と安保理の関係
戦後日本にとって、国際連合への加盟は国際社会への完全な復帰を意味する悲願であった。しかし、1952年に日本が国連加盟を申請した際、冷戦の対立構造の中で、ソ連が拒否権を行使したため加盟は認められなかった。日本政府はソ連との国交回復を急ぎ、1956年の日ソ共同宣言によって両国の国交が回復したことで、ようやくソ連が日本の加盟に賛成へと転じた。これにより、同年12月の国連総会で日本の加盟が全会一致で承認された。
加盟後、日本は早くも1958年に初の非常任理事国に選出された。以降、日本は何度も非常任理事国に選出されており、その当選回数は国連加盟国の中でも最多の部類に入る。安全保障理事会の場を通じて、日本は中東秩序の安定や軍縮・不拡散、平和維持活動(PKO)への貢献など、国際社会における平和国家としての地位を確立していった。
冷戦後の日本外交と「常任理事国入り」への模索
1989年の冷戦終結後、湾岸戦争(1990〜1991年)を契機として、日本は多額の資金援助を行いながらも「目に見えない貢献」と批判された。これを教訓に、日本政府は1992年にPKO協力法(国際平和協力法)を制定し、自衛隊を国連平和維持活動へ派遣するなど、人道的・物理的な国際貢献を本格化させた。同時に、経済的・資金的貢献に見合う発言権を確保するため、安保理の改革と日本の常任理事国入りを目指す外交方針を明確にした。
日本は同じく常任理事国入りを目指すドイツ、インド、ブラジルとともに「G4」を結成し、安全保障理事会の枠組み自体を現代の国際情勢に適合させるための改革案を提唱している。しかし、既存の常任理事国の利害や近隣諸国の反発、アフリカ諸国などの合意形成の難しさから、安保理改革および日本の常任理事国入りはいまだ実現しておらず、日本外交における継続的な課題となっている。