大韓民国
【概説】
1948年8月、朝鮮半島南部にアメリカの支援のもと成立した資本主義国家。日本の植民地支配からの解放後、冷戦を背景とした南北分断を経て、李承晩を初代大統領として樹立された。戦後の日本にとって、朝鮮戦争による特需や1965年の国交正常化など、政治・経済・安全保障の面で極めて深く重要な関わりを持ち続ける隣国である。
日本の敗戦と朝鮮半島の分断
1945年8月のポツダム宣言受諾による日本の敗戦は、朝鮮半島に35年間にわたる植民地支配からの解放をもたらした。しかし、日本の統治機構が崩壊した直後から、北緯38度線を境界として北部にソ連軍、南部にアメリカ軍が進駐し、それぞれ軍政を敷くこととなった。当初は米ソ共同委員会を通じて統一的な独立国家の樹立が模索されたものの、第二次世界大戦後の冷戦(イデオロギー対立)の激化に伴い、交渉は決裂した。朝鮮半島は米ソ対立の最前線となり、分断の固定化という悲劇的な道を歩むことになったのである。
大韓民国の成立と朝鮮戦争
統一国家樹立の望みが絶たれる中、国連の監視下で南部のみでの総選挙が強行された。その結果、1948年8月15日に李承晩を初代大統領とする大韓民国が成立した。これに対抗して翌9月には、北部で金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立され、朝鮮半島の南北分断が決定的となった。
1950年6月、北朝鮮軍の武力侵攻により朝鮮戦争が勃発する。大韓民国はアメリカを中心とする国連軍の支援を受け、ソ連や中国の義勇軍の支援を受けた北朝鮮と激しい戦闘を繰り広げた。この戦争は、隣国である日本に莫大な「特需(朝鮮特需)」をもたらし、戦後日本の経済復興の最大の契機となった。同時に、在日米軍の出動による軍事的空白を埋めるため、GHQの指令のもと警察予備隊(後の自衛隊)が創設されるなど、日本の再軍備と対米従属的・反共的な安全保障体制の構築を決定づける歴史的転換点ともなった。
日韓基本条約と国交正常化
大韓民国は成立当初から強力な反日政策をとっており、李承晩政権下では「李承晩ライン」の宣言による日本漁船の拿捕など、両国関係は極めて険悪であった。しかし、東アジアにおける反共陣営の結束を急ぐアメリカからの強い圧力や、経済発展のための資金を必要とした韓国側の事情もあり、長期にわたる日韓会談の末、1965年に日本の佐藤栄作内閣と韓国の朴正煕政権の間で日韓基本条約が締結された。
これにより両国の国交は正常化し、日本から韓国へ総額5億ドルにのぼる無償・有償の経済協力金が提供された。この資金は、韓国の「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済成長の原動力となった。しかし、条約の締結過程において、日本統治時代に対する歴史認識や個人の請求権問題は、政治的妥協により不完全に処理された面があり、これが後年の日韓間に横たわる火種を残す結果となった。
民主化の進展と歴史認識問題
大韓民国では長らく軍事独裁政権による権威主義的体制が続いたが、1980年代の民主化運動の高まりを受け、1987年の「民主化宣言」によって直接選挙制への移行が実現し、民主国家としての歩みを本格化させた。日本との間では、1998年の「日韓共同宣言」や2002年のサッカー・ワールドカップ共同開催などを通じて、経済・文化面で極めて密接な交流が築き上げられてきた。
その一方で、民主化によって抑圧されていた多様な世論が噴出するようになると、慰安婦問題や徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)問題、さらには竹島(韓国名・独島)をめぐる領土問題など、日本の植民地支配に起因する歴史的課題が幾度となく再燃している。大韓民国は日本にとって最も重要な隣国の一つでありながら、近代史の負の遺産をいかに清算・克服していくかという、複雑で重い課題を共有し続ける存在である。