ホー・チ・ミン
【概説】
ベトナムの民族独立運動を率いた指導者であり、ベトナム民主共和国の初代主席。第二次世界大戦期にベトナム独立同盟(ベトミン)を組織し、フランスの植民地支配や日本軍の軍事占領に抵抗して、日本の敗戦直後にベトナムの独立を宣言した。
日本軍の仏印進駐と二重支配への抵抗
第一次世界大戦前からヨーロッパや中国で社会主義・民族独立運動に関わっていたホー・チ・ミンは、1930年にインドシナ共産党を結成した。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、翌1940年にはフランスの敗北に乗じた日本軍がベトナムへ侵攻(仏印進駐)を開始した。これによりベトナムは、従来のフランス植民地政府と、新たに乗り込んできた日本軍による「二重支配」の状況下に置かれることとなった。
ホー・チ・ミンは1941年に約30年ぶりに祖国へ帰国し、抗日・抗仏の民族統一戦線としてベトナム独立同盟(ベトミン)を結成した。彼は山岳地帯を拠点にゲリラ戦を展開し、日本の過酷な食糧徴発(米の強制買い上げ)によって生じた大飢饉に苦しむ農民たちを救済しながら、徐々にその支持基盤を広げていった。
「ベトナム八月革命」と独立宣言
1945年3月、日本軍は仏印処理(明号作戦)を断行してフランス軍を武装解除し、傀儡政権である「ベトナム帝国」を樹立させた。しかし、同年8月に日本がポツダム宣言を受諾して降伏すると、現地日本軍の権力が真空化した一瞬の隙を突き、ホー・チ・ミン率いるベトミンは一斉蜂起を開始した。これがベトナム八月革命である。
ベトミンは瞬く間にハノイなどの主要都市を制圧し、ベトナム帝国のバオダイ帝を退位に追い込んで王朝体制を終結させた。そして日本の降伏文書調印式と同日である1945年9月2日、ホー・チ・ミンはハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言し、自ら臨時政府の主席に就任した。この独立宣言は、アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言を引用しつつ、日本とフランスの侵略から自力で解放を勝ち取ったことを高らかに主張するものであった。
日本史における位置づけと戦後の影響
ホー・チ・ミンの活動とベトナムの独立は、日本の近代史、特に昭和期の戦争とアジア政策に深く連動している。日本が唱えた「大東亜共栄圏」や「アジアの解放」というスローガンが、実態としては過酷な軍事占領と物資略奪にすぎなかったことを、ベトミンによる激しい抗日闘争の歴史が証明している。また、日本の敗戦による旧植民地・占領地の権力の空白が、アジア諸民族の自立的な独立運動を一気に加速させる契機となった典型例でもある。
戦後、フランスの再植民地化の試みに対してホー・チ・ミンはインドシナ戦争を戦い抜き、さらにその後のベトナム戦争ではアメリカ合衆国という超大国を相手に一歩も引かない抵抗を指揮した。彼は南北ベトナムの統一を見届けることなく1969年に没したが、今日のベトナム社会主義共和国においても「建国の父」として絶大な尊敬を集め続けている。