ベトナム
【概説】
第二次世界大戦期から近現代にかけて、日本の外交や軍事行動と深く関わった東南アジアの国家。1945年の日本降伏直後にホー・チ・ミンが独立を宣言したが、旧宗主国フランスの再支配の試みによって第一次インドシナ戦争へと突入した。
日本軍の仏印進駐と太平洋戦争への道
昭和期の日本史において、ベトナムは「フランス領インドシナ(仏印)」の一部として登場し、日本の南進政策の最大の拠点となった。1937年に始まった日中戦争が長期化するなか、日本軍は蔣介石率いる国民政府への補給路(援蒋ルート)を遮断することを狙い、1940年に北部仏印進駐を敢行した。次いで1941年には、石油などの南方資源獲得に向けた足がかりとして南部仏印進駐を行い、ベトナム全域を事実上の支配下に置いた。
この南部仏印進駐は、アメリカやイギリスをはじめとする連合国側を激しく刺激した。アメリカは即座に「対日石油輸出の全面禁輸」という強硬な対抗措置を講じ、日本を外交的・経済的に追い詰めることとなった。この対立構図が、同年12月の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦を決定づける直接的な要因となったのである。占領下のベトナムでは、日本の妥協によりフランス(ビシー政権)の統治機構がそのまま残され、日仏による「二重支配」が行われた。この歪んだ支配体制のもとで、日本軍による米の強制作収などが実施され、大戦末期にはベトナム北部を中心に100万人以上が餓死するという未曾有の飢饉が引き起こされた。
八月革命と残留日本兵の関与
1945年3月、戦況の悪化に伴い日本軍はフランス軍を武装解除する「仏印処理(明号作戦)」を実行し、フランス領インドシナ連邦を解体してバオ・ダイ帝を首班とする「ベトナム帝国」を独立させた。しかし、同年8月に日本が連合国に降伏すると、実権を失ったベトナム帝国は崩壊し、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)が主導する八月革命が勃発した。これにより、同年9月2日に「ベトナム民主共和国」の独立が宣言された。
この独立に際し、戦後の日本史とも深く関わる残留日本兵の存在が挙げられる。終戦後、祖国への帰還を拒んで現地に留まった約600人の旧日本軍兵士たちがベトミン軍に身を投じた。彼らは士官学校の教官などとしてベトナム人に近代的な軍事技術や戦術を指導し、再支配を企てるフランスとの間で勃発した第一次インドシナ戦争において、ベトナム側の軍事力向上に大きく貢献した。
戦後日本の復興とベトナム戦争
戦後の国際秩序において、ベトナムは東西冷戦の激化とともに南北に分断され、1960年代にはアメリカが介入するベトナム戦争へと発展した。この時期の日本は、直接的な軍事介入こそ行わなかったものの、日米安全保障条約に基づき、沖縄をはじめとする国内の米軍基地を補給や出撃の拠点として提供した。これにより日本経済は「ベトナム特需」と呼ばれる経済的恩恵を享受し、高度経済成長をさらに加速させることとなった。
その一方で、日本国内では知識人や学生、市民による「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」などの大規模な反戦運動が巻き起こり、戦後の民主主義や平和主義のあり方を問い直す社会的潮流を生み出した。1973年に日本は北ベトナムとの国交を樹立し、1975年のサイゴン陥落によるベトナム統一後は、現地からのボートピープル(インドシナ難民)の受け入れ問題や、ODA(政府開発援助)を通じた関係再構築など、戦後日本外交におけるアジア政策の重要な結節点であり続けた。