独立戦争(インドネシア)
【概説】
第二次世界大戦直後のインドネシアにおいて、オランダによる再植民地化の試みを退け、主権国家としての独立を勝ち取った戦争。日本軍の占領終結直後に宣言された独立を守るため、4年にわたり激しい軍事衝突と外交交渉が繰り広げられた。
日本軍の占領と独立運動の台頭
第二次世界大戦中、日本軍はオランダ領東インド(現インドネシア)を占領し、長年にわたるオランダの植民地支配を終結させた。日本側の占領政策は戦時資源の確保を最優先とし、現地の人々に過酷な労働や物資供出を強いたが、一方で対米英戦を有利に進めるためにスカルノらの民族主義運動を利用・支援した。この過程で、日本軍の手によって現地人青年からなる郷土防衛義勇軍(PETA)などが組織され、高度な軍事訓練が施された。この時培われた組織力と軍事技術が、のちの独立戦争における強力な軍事的基盤となった。1945年8月15日の日本降伏直後、スカルノらは即座に行動を起こし、同年8月17日にインドネシア独立宣言を発表した。
残留日本兵の参戦と独立の達成
大戦終結後、旧宗主国であるオランダは植民地支配の再建を目論んで軍を派遣し、独立を求めるインドネシア側との間で武力衝突が勃発した。この独立戦争において、日本史の観点から特筆すべきは残留日本兵の存在である。日本の敗戦に伴い現地に取り残された、あるいは自らの意志で現地にとどまった約1000〜2000人とされる元日本陸海軍将兵が独立軍(人民治安軍など)に身を投じた。彼らは戦術指導や武器の提供、部隊の編成を行い、自らも最前線に立ってオランダ軍と交戦し、その多くが戦死した。戦況の泥沼化と、植民地主義に対する国際世論の批判が高まった結果、オランダはついに屈服し、1949年12月のハーグ協定(円卓会議)をもってインドネシアの独立が国際的に承認された。独立戦争を戦い抜いた元日本兵は、戦後インドネシアの国籍を与えられ、戦死者は国父スカルノらによってジャカルタのカリバタ英雄墓地に国家英雄として手厚く葬られた。