ベトナム民主共和国
【概説】
1945年9月、ホー・チ・ミンを初代大統領としてハノイで独立を宣言した東南アジア最初の社会主義国家。第二次世界大戦期における日本軍のフランス領インドシナ進駐とその降伏、および「ベトナム八月革命」を経て誕生した。のちにフランスとのインドシナ戦争、アメリカとのベトナム戦争を戦い抜き、1976年の南北統一にいたる激動の歴史を歩んだ。
日本軍の仏印進駐と植民地支配の崩壊
昭和期の日本史において、ベトナム(フランス領インドシナ、通称「仏印」)は南進政策の最重要拠点であった。日中戦争の長期化に直面した近衛文麿内閣は、蒋介石政権への物資補給路(援蒋ルート)を遮断し、さらに南方資源の確保を狙って、1940年に北部仏印進駐、翌1941年に南部仏印進駐を実施した。これが日米関係を決定的に悪化させ、太平洋戦争突入への引き金となった。
大戦末期の1945年3月、日本軍は連合国の反攻に備えて現地フランス軍を武装解除する「明号作戦」を断行し、フランスの植民地統治を崩壊させた。その後、バオ・ダイ帝を擁立して「ベトナム帝国」を独立させたが、これは日本の軍事支配を覆い隠す傀儡政権に過ぎなかった。この過酷な戦時支配と過度の米穀徴発、さらに天候不順が重なったことで、1944年から45年にかけてベトナム北部を中心に100万人以上とも言われる大飢饉が発生し、日本に対する反感が民衆の間で急速に高まっていった。
「八月革命」と独立宣言の歴史的意義
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏すると、現地に一時の「権力の空白」が生じた。この機を捉え、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)は、一斉蜂起であるベトナム八月革命を敢行した。親日的なベトナム帝国を退位に追い込み、瞬く間に主要都市を掌握したベトミンは、日本の降伏調印式と同日である1945年9月2日、ハノイにおいて「ベトナム民主共和国」の独立を宣言した。
日本の敗戦と南進政策の破綻は、東南アジアにおける植民地支配の終焉を告げる号砲となった。この独立宣言の後、旧宗主国であるフランスが再び支配権を取り戻そうと軍を派遣したため、ベトナム民主共和国はインドシナ戦争へと突入していく。その過程では、降伏後に現地に踏みとどまり、ベトミン軍に軍事技術や戦術を指導して共に戦った「残留日本兵」も数多く存在した。ベトナム民主共和国の誕生は、近代日本の南進の帰結であると同時に、戦後の冷戦期におけるアジアの民族自決・独立運動の先駆けとなる重要な画期であった。