インドシナ戦争
【概説】
太平洋戦争終結直後、ベトナム民主共和国が旧宗主国であるフランスの再植民地化政策に対して起こした独立戦争。第二次世界大戦後のアジアにおける脱植民地化運動の代表例であり、冷戦構造の激化に伴って国際的な代理戦争へと発展した。
フランスの帰還と独立の危機
第二次世界大戦中、フランス領インドシナ(仏印)は日本軍の進駐(仏印進駐)によって実質的な日本統治下におかれた。1945年8月の日本敗戦に伴い、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)は「ベトナム八月革命」を成功させ、ベトナム民主共和国の独立を宣言した。
しかし、戦後に主権を回復したフランスは植民地支配の維持を目論み、再びインドシナへの軍事介入を開始した。フランスは対抗勢力としてバオ・ダイを元首とするベトナム国(南ベトナム)を樹立し、1946年12月にハノイで両軍が衝突したことで、本格的な武力衝突へと発展した。
冷戦の激化と戦争の変質
当初は植民地解放を求める民族主義的な戦争であったが、1949年の中華人民共和国の成立を機に、戦争の性格は大きく変容した。毛沢東政権がベトミンへの軍事援助を開始し、ソ連もベトナム民主共和国を承認すると、これに対抗してアメリカがフランスへの巨額の財政・軍事支援を開始した。これにより、インドシナ戦争は「東側陣営(社会主義)」対「西側陣営(資本主義)」という、アジアにおける冷戦の最前線へと変貌を遂げた。
戦争の決着がついたのは1954年のディエンビエンフーの戦いであった。ヴォー・グエン・ザップ将軍率いるベトミン軍が、フランス軍の難攻不落とされた要塞を包囲・陥落させ、フランスの敗北が決定的となった。
ジュネーヴ協定と日本史における関連性
フランスの敗北を受けて1954年に結ばれたジュネーヴ休戦協定により、フランス軍の撤退と、北緯17度線を暫定的な軍事境界線とする南北分断が決定した。この未解決の南北問題は、その後のアメリカの本格介入によるベトナム戦争へと引き継がれることとなる。
なお、日本史(昭和史)の文脈においては、終戦時に現地に留まった残留日本兵の存在が挙げられる。数百万人に及ぶ日本の復員が進む中、約600〜800名の旧日本軍将兵が現地に残り、ベトミン軍に身を投じた。彼らはベトナム兵に対して軍事訓練や戦術指導を行い、なかには士官学校の教官として軍組織の基盤を作った者や、実戦で命を落とした者もいた。このように、日本の敗戦と戦後アジアの独立闘争は、個々の兵士の動向を通じても密接に結びついていた。