レッドパージ

冷戦の激化と朝鮮戦争勃発を背景に、GHQの指示で日本共産党の幹部が公職追放され、企業や官公庁から共産党員らが大量に解雇された事件を何というか?
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レッドパージ

1950年

【概説】
1950年の朝鮮戦争勃発を前後して、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示により、日本共産党員やその同調者が公職や民間企業から大量に解雇・追放された事件。冷戦の激化に伴うアメリカの占領政策の転換(逆コース)を象徴する出来事であり、戦後日本の労働運動や政治動向に多大な影響を及ぼした。

占領政策の転換と「逆コース」

第二次世界大戦後の初期占領政策において、GHQは日本の非軍事化と民主化を強力に推進した。この過程で治安維持法は廃止され、政治犯として投獄されていた共産党員は釈放されて日本共産党は合法化された。さらに労働組合の結成も奨励され、戦後日本の労働運動は急速に高揚した。

しかし、1947年頃からの米ソ冷戦の激化や、1949年の中華人民共和国の成立など、東アジアにおける共産主義勢力の拡大に直面したアメリカは、対日政策を根本的に転換する。日本を「アジアにおける反共の防壁」として位置づけ、経済復興と保守体制の安定を最優先とするようになった。この一連の政策転換は「逆コース」と呼ばれ、急進的な労働運動や共産党の活動は、占領政策の遂行を阻害する危険な存在として敵視されるようになった。

朝鮮戦争の勃発と弾圧の本格化

1950年初頭から、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本共産党を非合法化する可能性を示唆し、圧力を強めていった。同年6月6日、マッカーサーは吉田茂内閣に対し、共産党中央委員24名の公職追放を指令し、続いて同党の機関紙『アカハタ』の停刊を命じた。

同年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、日本がアメリカ軍の最大の出撃・補給基地となったことで、後方のかく乱を防ぐ目的から弾圧は一気に本格化した。追放の対象は党幹部にとどまらず、官公庁や教育現場、さらには報道機関や重要な民間企業(電力、石炭、国鉄など)の一般労働者にまで拡大した。結果として、約1万数千人ともいわれる人々が「企業防衛」などの名目で職場から追放されたのである。

労働運動の再編と総評の結成

レッドパージは、当時の労働運動に壊滅的な打撃を与えた。戦後の労働運動を牽引していた全日本産業別労働組合会議(産別会議)をはじめとする左派・急進派の労働組合は、指導層や中核的な活動家を職場から排除されたことで急速に弱体化した。

代わって労働運動の主導権を握ったのは、GHQの支援も受けて結成された反共・労使協調路線の日本労働組合総評議会(総評)であった。1950年7月に結成された総評は、当初こそGHQの意に沿う穏健な組織としてスタートしたが、後に平和運動と結びついて左傾化し、戦後日本の労働運動の中心を担っていくこととなる。

思想・信条の自由をめぐる歴史的課題

レッドパージは、戦後民主主義における「思想・信条の自由」の保障という観点から、極めて大きな問題を後世に残した。初期の占領政策で行われた公職追放が、戦争犯罪人や軍国主義の指導者を対象としたものであったのに対し、レッドパージは特定の政治的思想を持つこと自体を理由とした排除であった。

職場を追われた多くの人々は、不当解雇であるとして訴訟を起こしたが、日本の裁判所は「GHQの超法規的な指示に基づく措置であり、日本の国内法(労働基準法など)の適用外である」として、労働者の訴えを退けた。サンフランシスコ平和条約の発効によって日本が独立を回復した後も、彼らの多くは復職や補償を得られないまま放置され、戦後日本の司法と人権保障のあり方に深い影を落とすこととなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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