震災恐慌

1923年の関東大震災によって工場や企業が被災し、手形が決済できなくなったことで生じた経済的混乱を何というか?
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重要度
★★

【参考リンク】
震災恐慌(Wikipedia)

震災恐慌 (しんさいきょうこう)

1923年

【概説】
1923年(大正12年)9月の関東大震災による甚大な経済被害を契機に発生した、大正末期の経済恐慌。第1次世界大戦後の戦後恐慌から立ち直りきっていない日本経済に壊滅的な打撃を与えた。このとき政府が導入した救済策が、のちの昭和金融恐慌を誘発する引き金となった。

大震災による経済インフラの破壊と戦後恐慌の影

1923年9月1日、首都圏を襲った関東大震災は、東京・横浜の工場、店舗、官公庁などの物理的インフラを瞬時にして破壊した。これにより、京浜地域の製造業や商業は完全に麻痺し、日本全体の経済活動が著しく停滞することとなった。

当時の日本経済は、第1次世界大戦による大戦景気の反動である戦後恐慌(1920年)から依然として脱却できておらず、慢性的な不況下にあった。そこへ大震災が追い打ちをかけたため、企業の経営悪化と銀行の貸し倒れリスクが一気に高まり、震災恐慌と呼ばれる深刻な不況へと突入した。

救済策としての「震災手形」とその固定化

事態を重く見た政府と日本銀行(日銀)は、決済不能となった商業手形を救済するため、震災手形損失補償令を発布した。これは、支払不能となった手形(震災手形)を日銀が再割引して融資を行い、発生した損失は政府が補償するという緊急の金融緩和策であった。

しかし、この措置は結果として、震災前から破綻しかけていた企業の不良債権(固定化手形)を温存・救済することにつながってしまった。特に、神戸の有力商社である鈴木商店や、それと癒着していた台湾銀行などの放漫経営が裏で維持される原因となり、金融機関の健全性を損なう構造的要因を作り出した。

昭和金融恐慌への導火線

震災手形の処理は、大正末期から昭和初期にかけての日本経済における最大の懸案事項となった。政府は手形処理の延期を繰り返したが、決済されないまま残った膨大な震災手形は、銀行の経営を圧迫し続けた。

1927年(昭和2年)、この震災手形の処理をめぐる議会の論戦の中で、片岡直温蔵相が「東京渡辺銀行が破綻した」と失言したことを機に預金者の取り付け騒ぎが発生し、昭和金融恐慌へと発展することになる。震災恐慌は、単なる自然災害による経済混乱にとどまらず、大正から昭和へと続く慢性的な金融不安の構造化を決定づけた歴史的事件であった。

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昭和恐慌と経済政策 (講談社学術文庫 1130)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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