カルテル(企業連合)
【概説】
同じ産業の同種企業が、価格の維持や生産量の制限(操業短縮)に関する協定を結ぶことで市場競争を避け、相互の利益を守ろうとする独占形態の一種。昭和初期の不況期において国家主導の産業統制手段として広く活用され、戦後は市場競争の活性化のために原則禁止とされるなど、日本の経済政策の変遷と深く連動した企業同盟である。
昭和恐慌とカルテルの公認(重要産業統制法)
1920年代の戦後恐慌から1930(昭和5)年の昭和恐慌にいたる激しい不況期において、日本の産業界は過激な生存競争にさらされ、企業の倒産や経営悪化が相次いだ。このような状況下、政府が進めた「産業合理化」政策の一環として、過当競争を防ぎ市場の安定を図るためにカルテルの結成が推奨された。その画期となったのが、1931(昭和6)年に制定された重要産業統制法である。この法律は、政府が指定した重要産業において、企業が自主的に結成したカルテル(統制協定)を国家が容認・保護するだけでなく、場合によっては非加盟の企業に対してもその協定への追従を強制できる権限を政府に与えた。これにより、繊維や鉄鋼、化学などの基幹産業においてカルテルが急速に普及し、日本経済の独占化が進むこととなった。
戦時経済への移行と統制の強化
1937(昭和12)年の日中戦争勃発を機に、日本は平時の自由主義経済から戦争遂行のための戦時統制経済へと舵を切った。この過程で、企業による自主的な利益擁護のためのカルテルは、国家による生産管理や資材配給を円滑に進めるための「統制会」などの国家機関へと再編・吸収されていった。もともとは不況から企業を守るための手段であったカルテルは、戦時下においては国家が民間経済を直接支配し、軍需生産を最大化するための行政ツールへと変質を遂げたのである。
戦後の経済民主化とカルテルの原則禁止
第二次世界大戦後の占領期、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が推し進めた「経済民主化」により、日本の経済秩序は一変した。財閥解体と並び、市場における自由で公正な競争を保障するため、1947(昭和22)年に独占禁止法が制定された。これにより、自由競争を阻害するカルテルは原則として全面的に禁止され、その監視機関として公正取引委員会が発足した。しかし、戦後復興の進展や朝鮮戦争後の反動不況(構造不況)に直面する中で、1953(昭和28)年の独占禁止法改正により、過度な不況を克服するための「不況カルテル」や技術向上を促す「合理化カルテル」などが例外的に容認されるようになった。これらは高度経済成長期における日本企業の体質強化に寄与したものの、1990年代以降の規制緩和や国際基準への適合化(日米構造協議など)の流れの中で、段階的に例外規定が廃止され、現在に至っている。