クーリッジ
1872〜1933
【概説】
第一次世界大戦後の繁栄期に在任した、アメリカ合衆国第30代大統領。内政では緊縮財政と自由放任主義を貫く一方、外交では1927年にジュネーヴ海軍軍縮会議を提唱するなど、大正末期から昭和初期にかけての日本の安全保障や外交政策に強い影響を与えた人物。
ジュネーヴ海軍軍縮会議の提唱と国際協調の挫折
1927(昭和2)年、クーリッジは大戦後の主力艦制限に続き、補助艦(巡洋艦や駆逐艦、潜水艦など)の制限を目指してジュネーヴ海軍軍縮会議の開催を提唱した。大正から昭和初期にかけての日本は、財政再建や「幣原外交」に代表される国際協調路線の維持からこの提案に積極的に応じた。しかし、主力艦に並ぶ補助艦の保有比率をめぐる米英間の対立に加え、対米7割を要求する日本海軍の主張も折り合わず、会議は決裂に終わった。このジュネーヴでの決裂は、後の1930(昭和5)年に結ばれるロンドン海軍軍縮条約への布石となったと同時に、日本国内において軍縮への不満を募らせる軍部強硬派の台頭を促す契機となった。
クーリッジ政権下での「排日移民法」成立と対米感情の悪化
クーリッジの在任期(1923〜1929年)は、日本の排外主義的な潮流がアメリカ国内で決定定的となった時期でもある。1924(大正13)年、米議会で日本からの移民を実質的に全面禁止する排日移民法が可決された。穏健派のクーリッジ自身は対日関係への悪影響を懸念して反対の立場をとったものの、国内世論と議会の強い圧力を覆せず署名した。この法律の成立は、それまで第一次世界大戦後の国際秩序(ワシントン体制)を支持していた日本国民に強い失望と怒りをもたらし、大正デモクラシー期の親米的な世論を冷え込ませ、後の昭和期における対米不信や孤立主義の台頭を招く遠因となった。