ライオン宰相

浜口雄幸が、その風貌と強固な信念に基づいた政治姿勢から、国民の間で親しみを込めて呼ばれた異名(あだ名)は何か?
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【参考リンク】
濱口雄幸(Wikipedia)

ライオン宰相 (らいおんさいしょう)

1870〜1931年

【概説】
昭和初期に首相を務めた浜口雄幸の異名。その特徴的な風貌と、強固な意志をもって困難な政策を断行する剛直な政治姿勢から、民衆によって名付けられた親称である。

風貌と政治姿勢に由来する愛称

官僚出身の政治家であった浜口雄幸は、1929(昭和4)年7月に立憲民政党を率いて内閣を組織した。彼が「ライオン宰相」と呼ばれた最大の理由は、その独特な風貌にある。ぎょろりとした鋭い眼光に、短く刈り込まれた頑強な髪や髭がライオンを連想させた。また、官僚時代から妥協を許さず一貫して信念を貫く「寡黙にして剛毅」な性格で知られており、大戦後の慢性的不況や政党の腐敗に不満を抱いていた民衆は、力強いリーダーシップを期待して彼をこの異名で呼び、熱狂的に支持した。

金解禁とロンドン軍縮条約の「剛直な断行」

浜口は「ライオン宰相」の名にふさわしく、激しい抵抗が予想された二大政策を強い信念のもとで断行した。一つは大蔵大臣の井上準之助とともに緊縮財政を推進し、長年の懸案であった金解禁(金本位制への復帰)を実施したことである。もう一つは、外務大臣の幣原喜重郎が進める国際協調外交を支持し、1930(昭和5)年にロンドン海軍軍縮条約を調印したことである。特に後者は、軍部や右翼から「統帥権干犯」であるとして激しい非難を浴びたが、浜口は一歩も引かなかった。しかし、この強硬な姿勢が反発を招き、同年11月に東京駅で右翼の青年に狙撃され、その負傷が原因で翌年民政党内閣は総辞職し、浜口自身も逝去することとなった。

浜口雄幸集 議会演説篇

「ライオン宰相」と称された政治家が、政党政治の正統と議会制民主主義の理想を説き抜いた、緊迫の演説録。

昭和十年代の陸軍と政治 (ちくま学芸文庫ツ-8-2)

二・二六事件以降の軍部が内閣や政党といかに対峙したか、昭和史の転換点を多角的に解明した歴史研究の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. ワシントン会議での決定を受けて山東半島からの撤兵やシベリアからの完全撤兵を実行し、海軍の軍縮も行った内閣は何か?
Q. 彼が編纂したオランダ語・フランス語辞典が、のちに日本初の蘭和辞典の底本(ベース)となり、辞典の名前の由来ともなった人物は誰か?
Q. 源頼朝が朝廷から国司の推薦権を認められ、事実上幕府の領国として支配した相模国などの国々を何というか?