世界恐慌
【概説】
1929年秋、アメリカの株価暴落を震源地として発生し、世界中を深刻な不況と大量失業に陥れた未曾有の経済危機。日本においても昭和恐慌を引き起こし、農村の窮乏や社会不安を増大させ、その後の軍部台頭や満州事変への道を開く重要な歴史的転換点となった。
ウォール街の株価暴落と世界的波及
1929年10月24日、いわゆる「暗黒の木曜日」にアメリカ・ニューヨークのウォール街で起きた株式市場の大暴落は、瞬く間にアメリカ経済全体を麻痺させた。第一次世界大戦後のアメリカは「永遠の繁栄」と呼ばれる好景気を謳歌していたが、実態は農業不況や富の偏在、過剰生産、そして投機熱の異常な高まりといった脆弱性を孕んでいた。アメリカの資金引き揚げと需要の急減は、同国と経済的に深く結びついていたヨーロッパ諸国やその他の地域へと連鎖し、またたく間に世界規模の深刻な不況、すなわち世界恐慌へと発展した。
日本への直撃と「昭和恐慌」の発生
世界恐慌の波は、当時の日本経済に対して最悪のタイミングで襲いかかった。1929年に成立した立憲民政党の浜口雄幸内閣(蔵相・井上準之助)は、日本経済の抜本的な立て直しと国際経済への復帰を目指し、緊縮財政と物価下落を進めた上で、1930年1月に旧平価での金解禁を断行した。しかし、これが世界的な大不況と重なったことで日本からの正貨(金)が大量に海外へ流出し、深刻なデフレーションが引き起こされた。これを昭和恐慌と呼ぶ。
特に壊滅的な打撃を受けたのは農村であった。アメリカ経済の崩壊により、日本の主要な外貨獲得源であった対米生糸輸出が激減し、繭価が暴落した。さらに豊作による米価の下落も重なり、農村は「農業恐慌」と呼ばれる極度の窮乏状態に陥った。欠食児童や娘の身売りが深刻な社会問題となり、国民の間に政党政治や資本主義体制に対する強い不満が鬱積していった。
高橋是清の積極財政と恐慌からの脱出
この未曾有の危機に対し、1931年末に成立した立憲政友会の犬養毅内閣において蔵相に就任した高橋是清は、政策を180度転換させた。就任直後に金輸出の再禁止を断行して金本位制から離脱し、管理通貨制度へと移行したのである。さらに、日本銀行に赤字国債を引き受けさせて市場に資金を大量供給するリフレーション政策を展開し、時局匡救事業などの公共投資や軍事費の拡大を図った。
金本位制からの離脱によって円相場は大幅に下落(円安)し、日本はこの為替の有利さを活かして綿織物などの輸出を飛躍的に伸ばした。この結果、日本は主要資本主義国の中で最も早く世界恐慌からの経済的脱出に成功することとなった。
世界恐慌が日本史に与えた歴史的意義
世界恐慌は、単なる経済的危機にとどまらず、国内外の政治構造や国際秩序を根本から揺るがす契機となった。恐慌からの脱出を図る欧米列強は、イギリスのスターリング・ブロック(特恵関税制度)に代表されるような、自国と植民地による排他的なブロック経済を形成していった。これにより、資源が乏しく海外市場への依存度が高い日本は、国際市場から締め出されることへの強い危機感を抱くようになった。
国内で高まる社会不安と、国際的孤立への焦燥感は、「持たざる国」である日本が資源と市場を求めて大陸へ武力進出する強い動機となった。1931年9月の満州事変勃発や、それに続く軍部の政治的台頭、さらには政党内閣の崩壊(1932年の五・一五事件)は、世界恐慌がもたらした社会的・経済的閉塞感が引き金となって起きたものであり、日本が第二次世界大戦へと突き進む決定的な転換点として位置づけられている。