ドル買い
【概説】
昭和恐慌下の1931年(昭和6年)に、金輸出再禁止による円安を見越した三井などの財閥や外国銀行が、競って円を売りドルを買いあさった投機行為。日本の正貨(金)を急速に流出させ、金解禁政策を破綻に追い込む直接の契機となった。この利己的な暴利獲得は世論の激しい反発を招き、政党政治や財閥への不信感を高めて軍部や右翼の台頭を促すこととなった。
金解禁の挫折とドル買いの背景
1930年(昭和5年)1月、浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相は、緊縮財政と産業合理化によって国際競争力を高め、経済を安定させる目的で金解禁(金本位制への復帰)を断行した。しかし、前年秋に米国で始まった世界恐慌の荒波が日本を直撃し、日本経済は深刻な「昭和恐慌」に陥った。金解禁を維持するためのデフレ政策は国民生活を窮乏させ、政府への不満が高まっていった。
こうした中、1931年9月にイギリスが金本位制を離脱した。これにより世界第二の経済大国であった日本も、いずれ金本位制を維持できなくなり、金輸出を再禁止して円の価値を下げる(円切り下げ、すなわち円安)との予測が市場で急速に強まった。この予測に基づき、円が安くなる前に手持ちの円をドルに換え、再禁止後に再び円に買い戻すことで巨額の為替差益を得ようとする「ドル買い」の動きが本格化した。
財閥の投機と正貨の流出
ドル買いを主導したのは、三井、三菱、住友、安田といった巨大財閥や横浜正金銀行などの金融機関であった。特に三井銀行(実質的な最高責任者は池田成彬)は、海外顧客の注文に応じる形だけでなく、自己資金を投じて大量のドルを買い占めた。
井上蔵相や日本銀行は、急激な円安と金流出を防ぐために正貨(保有する金)を海外に売却して円を買い支え、公定歩合を引き上げて投機を抑えようとした。しかし、ドル買いの奔流は止まらず、数ヶ月の間に約3億円にのぼる莫大な正貨が日本から流出することとなった。これにより、内閣が執念を燃やした金解禁政策の維持は事実上不可能となった。
金再禁止と財閥への「売国」批判
1931年12月、立憲民政党の若槻礼次郎内閣が崩壊し、野党であった立憲政友会の犬養毅内閣が成立した。高橋是清蔵相は就任直後にただちに金輸出再禁止を断行した。これにより日本は金本位制を離脱して管理通貨制度へと移行し、円相場は予測通り急落した。
結果として、ドルを保有していた財閥や外国銀行は莫大な差益(為替利益)を手にした。しかし、国家的な危機に乗じて私利を貪るこの行為は、メディアや世論から「国難を顧みない利己的暴挙」「売国奴」として激しく非難された。この反財閥・反資本主義の感情は、既成政党と財閥が結託しているという「財閥癒着」批判と結びつき、テロリズムの温床となった。1932年(昭和7年)の血盟団事件では、三井の最高権力者であった団琢磨が暗殺され、財閥は社会的批判をかわすために慈善活動や事業の「社会的転向」を余儀なくされることとなった。