ローマ進軍

1922年、ムッソリーニ率いるファシスト党の武装行動隊が政権掌握を目指して首都へ進発し、国王に組閣を認めさせた出来事を何というか?
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【参考リンク】
ローマ進軍(Wikipedia)

ローマ進軍

1922年

【概説】
1922年にイタリアのベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党が、政権奪取を目的に強行した武装デモおよび政治的脅迫。この事件を機に国王エマヌエーレ3世がムッソリーニを首相に任命し、世界初のファシズム政権が誕生する契機となった。

ファシスト党の政権獲得と独裁への道

第一次世界大戦後のイタリアは、戦勝国でありながら領土的獲得が少なかったことへの不満や、激しいインフレーション、労働運動の急進化によって社会的な混乱が極限に達していた。こうした中、社会主義勢力の台頭を恐れる地主や資本家、そして中間層の支持を集めて急速に勢力を伸長させたのが、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党であった。

1922年10月、ムッソリーニは「ローマ進軍」を宣言し、武装組織「黒シャツ隊」を首都ローマに向けて進発させた。当時のファクト内閣は戒厳令による鎮圧を試みたが、内乱の発生を恐れた国王エマヌエーレ3世はこれを拒否し、逆にムッソリーニに組閣を大命した。暴力的な軍事圧力を背景にしつつも、合法的な手続きを装って政権を奪取したこの事件は、その後のヨーロッパにおけるファシズム台頭の先鞭をつけることとなった。

日本におけるファシズム受容と昭和維新運動への影響

イタリアにおける「ローマ進軍」の成功は、大正末期から昭和初期にかけての日本社会、とりわけ国家主義者や陸軍の革新将校らに多大な思想的影響を与えた。第一次世界大戦後の日本は、政党政治の腐敗や昭和恐慌による深刻な社会不安に直面しており、議会政治を打破して強力な指導体制を構築しようとする機運が高まっていた。

日本の革新右翼や陸軍の若手将校らは、ムッソリーニの直接行動による政権奪取を一種のモデルとして意識した。昭和初期に相次いで計画された陸軍内の秘密結社「桜会」による三月事件十月事件、さらには1936年の二・二六事件といった一連の軍事クーデター計画の背景には、武力を背景に天皇親政の名のもとで国家改造を強行しようとする、日本版「ローマ進軍」とも言える超国家主義的・軍国主義的な思想的共鳴が存在していた。

ムッソリーニを逮捕せよ (講談社文庫)

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ファシズム (岩波現代文庫 学術 156)

大衆心理の変容と熱狂が独裁政治を生み出す過程を鋭く分析し、現代社会にも警鐘を鳴らすファシズム研究の決定的な書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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