防共自治政府 (ぼうきょうじちせいふ)
【概説】
1930年代半ば、日本陸軍が主導した華北分離工作の一環として、中国北部に樹立された親日傀儡(かいらい)政権。代表的なものに、1935年11月に河北省東部に成立した「冀東(きとう)防共自治政府」がある。満州国に隣接する華北地方を蔣介石の南京国民政府から切り離し、日本の影響下に置くことを目的とした。
華北分離工作と政府の成立背景
1931年の満州事変以降、関東軍をはじめとする日本陸軍は、満州国の安全保障とさらなる資源獲得を目指し、満州国に隣接する華北5省(河北、山東、山西、察哈爾、綏遠)を中国国民政府の主権から切り離して親日地帯化しようとする華北分離工作を推進した。1935年の「梅津・何応欽協定」および「土肥原・秦徳純協定」によって中国側の正規軍や国民党機関が華北から撤退させられると、日本は非武装地帯となった河北省東部(冀東地域)の親日派官僚である殷汝耕(いんじょこう)を抱き込み、1935年11月に「冀東防共自治委員会」(のちに冀東防共自治政府へと改称・改編)を組織させた。これが「防共自治政府」と呼ばれる傀儡政権の誕生である。
防共自治政府の役割と歴史的意義
この政府は名目上「共産主義の浸透に対する共同防衛(防共)」を掲げたが、実質的には日本軍(支那駐屯軍)の指導を受ける傀儡政権であった。独自の税関を設けて日本製品の関税を極めて低く設定し、大量の日本商品を中国本土へ密輸させる(冀東密輸)などして、国民政府の関税収入に大きな打撃を与えた。こうしたあからさまな日本の主権侵害は、中国世論の激しい怒りを買い、学生による「一二・九運動」などの抗日運動を誘発することとなった。結果として、中国国内の「内戦停止・一致抗日」の機運を急速に高めることとなり、西安事件から第二次国共合作、ひいては1937年の盧溝橋事件から始まる日中戦争の本格化を招く決定的な契機となった。