贅沢は敵だ! (ぜいたくはてきだ)
【概説】
日中戦争下の1940年に、国民の消費を抑制し戦時下の耐乏生活を強制するために掲げられた代表的なスローガン。同年に制定された「七・七禁令」を契機として、国民精神総動員運動の一環として街頭などに広く掲げられた。戦時体制における国民生活の軍事化と精神統制を象徴する言葉である。
日中戦争の長期化と「七・七禁令」の導入
1937年(昭和12年)に始まった日中戦争が長期化・泥沼化するなか、近衛文麿内閣は総力戦体制への移行を進め、国民の精神的結束と物資の節約を促す国民精神総動員運動を展開した。国家総動員法の制定を経て、軍需産業への資材集中が進む一方で、民需品の生産は極限まで抑えられていくこととなる。
このような状況下、1940年(昭和15年)7月7日に施行されたのが、通称「七・七禁令(奢侈品等製造販売制限規則)」である。これは日中戦争勃発から丸3年の記念日にあわせて制定されたもので、高級な衣類や貴金属、贅沢品などの製造・販売を全面的に禁止するものであった。この禁令の趣旨を国民に広く徹底させ、日常生活の隅々にまで浸透させるために考案されたのが、「贅沢は敵だ!」という象徴的なスローガンであった。
銃後の生活統制と「素敵」への抵抗
このスローガンは、国民精神総動員中央連盟によって全国の街頭や電柱、看板などに大書され、国民に対して「欲しがりません勝つまでは」などと並ぶ耐乏の義務を視覚的に訴えかけた。これにより、贅沢をすることは非国民であるという相互監視の同調圧力が社会全体に形成され、国民生活の画一化と軍事化が推し進められた。
しかし、こうした息苦しい国家統制に対し、庶民の間ではユーモアを交えた抵抗も試みられた。街頭に掲げられた看板の「敵」という文字の前に「素」を書き加え、「贅沢は素敵だ!」と書き換える落書きが流行したことは有名である。このエピソードは、戦時下の厳しい弾圧の中でも、日常のささやかな楽しみや自由を希求した庶民の抵抗精神を示す事例として、戦後の歴史研究や教育現場においてもしばしば言及されている。